深い森

コツコツと準備。その先に。

こんにちは。

今週は年に一回の非常勤講師の仕事が控えていた。(今年で2回目)

去年はギリギリまで準備に追われていたので今年は余裕をもって取り組みたいとアクションプランを段階的にそして柔軟に立てて取り組んだ。

3日後に迫りながら、準備が完了していない。
家族に時間を分けてと頼み込んでひたすら画用紙を切り出していた。


普段は全く違う仕事をしていたり、講師の仕事は始めたばかりでまだまだ勝手が掴めず慣れない。
そうは言ってもお給金を頂く。今できることをきっちり仕上げて臨みたい。

形のないものを形にしていくのはいつも楽しくて苦しい。
始めてしまった。といつも思う。
あぁ、なんてことを始めてしまったんだ!といつも思う。

自分の現時点の能力以上のことに挑戦する。

胃が痛い。
標準装備の能力が高くないから、ちょっとしたが自分にとってとてつもなくハードルが高い。

今回はクリスマスPOP-UPカード講座を持つ。
10月にハロウィンカードのお試し講座を内輪で開催して得た気づきがここで大きく活きている。参加者の方々と参加事後アンケートに大感謝!である。

そして講座は昨日無事に完了した。
書きたいことが溢れている。

2回くらいに分けて書けたらいいな。

楽しくて仕方ない90分だった!

人と足並みが揃えられず、いつまでも鈍足。
何をするにも時間がかかる。

私は物事の習得が遅いし、定着しづらい。

そうやって苦しい幼少期、学童期があり、周囲と同じ様に取り組むことが【出来なかった】その選択肢の無さが今の私にプラスの未来を運んでくるなんて夢にも思わなかったけど。

人と同じように【出来ない】ことの【多さ】が故に【自分だけの出来ること】は形成されたんだろう。

紙遊びは子どもの頃の私にとって唯一の友達で家族だった。

時間制限がない、失敗もない、自分のアイデアを形作って現実にしていける。

講座を始める前に実は少し不備があって「あーあ」と思ったんだ。でも『特別なものは何もいらない、紙と糊とハサミがあればいい』そう思い出したんだ。

そう思ったら笑ってしまった。

『状況がどうあれ、やっぱり大丈夫だと思える。だってどうせ楽しいだけが待ってる。準備は十二分にしたのだから。』

私の原点はそこなんだ。

何持ってなくていい
何も出来なくていい

誰かのために生きなくていい

誰も、親の、社会の望んだ幻想を生きなくていい

私は自分の思考を自分で現実化させる遊びの練習を渡しに行くの

自分で決めて取り組んだことが楽しい!と言う感覚を一緒に取り戻しに行くの

子どもたちも大人も圧倒的に誰かに用意された体験やレール上で暮らすことに違和感を持たなくなっている。

言いたい事が文章に出来ない!?

中途半端だけどここでアップしてしまうことにする

下書きばかりが溜まっていく

心が健康で、体力が無いと、文章って書けないんだね、と痛恨している

書いては消し、書いては消し

誰かの言葉を借りて話した気になっていた頃はどれだけでも話せたのに

言葉にならなくて苦しい

自分の言葉をつくっている