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毒親とHSP

HSPは生まれながら持つ気質と言われているが、きっと環境にも左右されていると思う。


繊細であることは欠点だった。
繊細な人はメンタルが弱く、小うるさく面倒くさい人だ。
その考え方は一般的だったと思うし、何より母から私はそういうレッテルを貼られていた。

どの時代も多かれ少なかれ子どもは親や教師や周りの大人達から、"この子はこういう子"というレッテルを貼られる。
性格だけでなく、得意不得意とかの能力まで決められてしまう。
そして自分でもそのレッテルを信じてしまうのだ。

でも大きくなって、あれ?ちょっと違うかも? と思ったことはないだろうか?
運動や絵画や工作や洋裁など、子どもの頃は出来なかったのに、そこそこ大人になってからやる機会に出会い、苦手〜と思いながらしてみたら、以外とできることは誰にでもよくあるように思う。

性格もそうだ。
引っ込み思案と思っていたけど、いつのまにかフランクな人になっていたり、やんちゃだったのに思慮深い人になっていたり。

同じようにHSPの特質も年齢や環境で変化があるように思う。



私は匂いに敏感で、母からは"嫌な子"と言われてきた。
だから、何か不快な匂いをキャッチする度、その匂いの不快さに自己嫌悪を加味した苦しさを味わってきたように思う。
また、匂いに対しての感覚から目を逸らす技を身につけていたようにも思う。
自分で自分を誤魔化していたのだ。

私のもう一つのHSPは、人の心の機微にとても敏感という点だ。
私以外の人の心の機微だから、当たっているかはわからない。
憶測というレベルなのだろう。
でも入ってくるとしか言いようのない感覚があって、受け取ってしまうのだ。
家族だけでなく、店員さんとかご近所さんとかいろんな人の心の機微を瞬時に受け取ってしまう。

それは生まれながらの気質なのか、機能不全家族の中で生きなければならなかったからなのかわからない。
でも生育環境が影響していなかったとはどうしても思えない。
なぜなら、大人達の顔色を伺わないと安全でなかったから、すごく上手になったのだと思う。

いい年齢になった今の私は、HSPということも知り、親や兄姉からも離れ、すっかり環境も変わったのに何故か敏感さが研ぎ澄まされていっているように思うのだ。
むしろ図太く穏やかになってもいいのに。


母の支配から逃れて自由になることは不安と向き合うことだったのかもしれないと思う。
そして不安は繊細さを呼び起こす。

余りにも支配されていた年数が長過ぎたのだろう。
でも繊細なHSPは方向性と加減によってはメリットになる筈だ。
私の大切な一部になる筈だ。
そしていつか不安も自由も大切な一部にできる筈だ。


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