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娘が教えてくれたこと

子育ては自分育て
この言葉を身に染みて感じている。

結婚してすぐに、誰一人知人もいなければ文化も違う知らない土地で、馴染む間もなく産まれた娘。
30年前は今より子育てのサポートの体制や意識も低かった。
食べない、寝ない、ぐずるの三拍子揃った子で、毎日毎日、ただ娘と向き合うだけというそんな日々だった。
孤独だった。
娘を抱っこしてひとりで何度も泣いた。

イヤイヤ期や思春期、反抗期、どれも難しくわかりにくく、戸惑うばかりの子育てだった。

そんな大変な娘だけど、いや、そんな娘だからだろうか、時々私の心を射抜くようなことを言う。


このnoteに書いてきた母と姉のことを気付かせてくれたのも娘である。
いかに私は自分を持っていないか、母の言葉に縛られているか、そしてそれを繰り返そうとしているか…
娘が私に教えてくれたことだ。

また、人と人との距離感の大切さを教えてくれた。
それは血縁者であろうと無かろうと、人として尊重することの基本なのだ。

そして大きかったのは、毒親を連鎖してしまったのではないかと悩んでいた私に
『これからは私の問題だから』
と言ってくれたことだ。
厳しくもあり優しい言葉だ。
頭が下がった。

きっと娘も、私の呪縛に囚われている自分に、ハッとすることがあるのかもしれない。
でもその度に、自分の心の声をよく聞いて新たな自分を作っているのだろう。

そしてその新たな自分が、私が動揺したり心配したりしそうな時は、あえて公開しないようにしているのも感じ取っている。
娘の強さと優しさととらえておこう。


だからだろう。
ついこの間、そんな娘から、『もう過去のことじゃん』と言われたのだ。

どうやらnoteを書くにあたって、私の中の記憶が次々と蘇り、恨み節のような空気を纏っていたらしい。
このnoteの内容を娘は知らない。
でもふとした会話の中で、生育環境のせいにしている私を見たのだろう。
痛かった。


そうだ、全部過去のことだ。
どういう育ちかをなぞるのはもう充分かもしれない。
何せもうすぐ60歳。
人生の残りは1/3。
私にとっては身勝手で意地悪な母や姉に、残りの1/3まで侵食されないようにしよう。
1/3を大事にしよう。



そんな娘と母(娘にとっては祖母)の関係だが、子どもの頃も今も仲良しで近い存在ではない。
孫に対しても母は自分本位だからだ。
だから娘も淡白な対応になるし、誰しも自分の人生に精一杯の時だってある。
だが、そんな娘の母との付き合い方が母は不満だったらしく、私が会わせないようにしている、と言ってきたのだ。

私が母と断絶した経緯全てを見てきた娘は
『親しく付き合いたいと思う気持ちは正直ないけれど、私のルーツだし気にはなるから会うね』
と言って、年に何回か連絡を取り、一年に一度くらいのペースで会っているようだ。
きっと会った時の会話も神経を使っていると思う。

ただただ申し訳なく、有り難く、そして少し誇らしく思っている。

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