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毒親からの回復

こうやって書けるようになっているのは回復してきているのだなあと思う。

絶縁して間もない頃、違う所で書き始めたことがあるけれど、考えたり思い出したりするだけで辛くなって辞めてしまった。
書くことで癒されていくかもと思ったけれど、タイミングというものがあるようだ。

今はしんどかった思い出がすり替わるのを待っている感じだ。



物事にはいろんな側面がある。
どの側面も正解なのだと思う。
自分の見た側面が間違っているのか?とか、見方が悪いのか?とか思う必要はない。
きっと、じっくり見つめている間に違う面が見えてくる。
それはもしかしたら、もっと残酷なものかもしれない。
でも見つめるしかない。
多分私の人生に必要なものだから。

時間と共に、優しい側面も見えるかもしれない。
冷静に見る事が大切だ。
すると、どの側面も大切な私の1ページに思えてくる筈だ。
そうやって思い出はすり変わっていくのではないだろうか。


生きていると自分ではどうしようもない事が起きる事がある。
自分や大切な人の病気や天災や事故。もちろん予防できることもあるけど、防ぎようもなく突然やってくる。
そもそも、いつの時代のどの国に生まれるかとか、どんな親でどんな家庭に生まれるのかとか、そういった事も自分ではどうしようもない事なのだ。
自分で選ぶことは出来ない。
巡り合わせとか出会いとかということなのだろう。
そう思うと、自分でどうしようもない事が起こらない人はいないのだ。
そしてそこに自分の罪はない。

それを運命というなら、受け入れるしかない。
だって仕方ないのだから。
そしてその事をただ運が悪いと思うか、幸運の為の流れのひとつと思うか。
つまり受け入れた後、それをどう理解しどう納得していくかは自由だ。
この自由は本来誰からも支配されない。
この先は全て自分で決めて自分で納得していくのだ。
その支配されない自由を手に入れる為に、もがいてきたのだなあと思う。

自由は自分の頭と心にある。
もがいてもがいて、今の自分を愛おしく思えたなら、それは自由を手に入れたという事だと思う。
そしてもがいてきた分、優しい強さも手に入れている筈と思いたい。

優しい強さは自分のことも周りの人のことも幸せにするし、希望にもなると信じている。
何十年もかけて学んだことを、苦しかった分、希望に変えていきたい。
その為にもがいてきたのだから。
ありがとう私と声掛けしながら。

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