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毒親(機能不全家族)はいじめだ

学校、職場、地域どこにでもあるいじめ。大人になってもいじめはある。
その構図は家庭内にもある。
卑しめ、嘲笑、無視、暴力、脅し、利用、辱め…
やっていることは同じではないか。



いじめの心理の根本は、とても自分本位なマウントではないだろうか。
いろんな力を誰かと比べて、無理にでも上下をつけて優越感を感じ、牛耳って権力を持つことに喜びを持ち、自分に有利な状況を作る。
そこに性別も年齢も関係ない。
あらゆるコミュニティにおいて、その心理の根本は同じなのではないだろうか。

そしてそれを正義だと思っている人がいるのも事実だと思う。
特に家庭内では、正義の気持ちがまかり通りやすい。
親の責任とか愛情とか教育とか、親だって一人の人間とか、いろんな言葉に置き換えられる。
でも、結局していることは自分本位ないじめとどこが違うのだろう。

家庭以外のコミュニティでも、仲間の印だとか友情だとかコミュニケーションだとか指導だとか、言い訳の正義を振りかざしてがんじがらめにする。
ボス以外の人達は、自分に火の粉が飛ばぬよう、ボスの機嫌を取る。
もしくは関わらないようにする。
やはり同じだ。



いじめられた人の解決策は転校、転職、引っ越しという手段で逃げるしかないと言われている。
それで心が解決する訳ではないけれど、空気が変わることを期待するのだろう。
でも実際は、空気が変わったぐらいで傷が癒え、心が解決したりしない。
空気が違うから大丈夫と自分に言い聞かすしかないのだ。

ここも家庭内と同じだ。
子どもの方が離れるしかない。
離れて、違う空気を自分で取り込むしかないのだ。

でも、他のコミュニティと大きく違うのは、そこに罪悪感がはびこることだ。
いじめられたコミュニティから我が身を守る為には離れるしかないのに、簡単に離れることを世間から認めてもらえない。
むしろ、親不孝とか未熟な反抗とか感謝が足りないとか、いろんな批判を受けるのだ。
それは傷の上に塩を擦り込まれる行為だ。

そして困ったことに、自分自身でも自分の傷に罪悪感という塩を擦り込み、自分は人としてひどいことをしているのではないか…と苦しむ。
何とかして許せないか、許さないといけないのではないかと苦しむのだ。


また、離れる以前の問題として、自分が親や家族からいじめられているという事実を認めることはとても困難で辛い作業だ。
かなり客観的に見ないといけないし、自分で自分を否定することに繋がるからだ。
年齢が幼ければ幼い程、受け入れられるものではないと思う。


いじめは100%いじめた方が悪い。
つまり、いじめられた側(子ども)には何の落ち度もない。
なのに命に関わらない限り、曖昧な結論しか下されない。

特に、親という立場は守られているように感じる。
第三者の目に触れにくいということもあるが、世間の何となくの価値観がそうさせているのだ。



私自身も親という立場になり、その価値観に甘んじてはいけないと自戒している。
この世に生まれて、初めてふれるコミュニティである親兄弟。
それが生きる基本となる存在であることに、注意深くならないといけないと思っている。


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