決定論的雑記

俺も友人も大きな勘違いを引きずったまま生きてきた人間だということはもう分かる。いまさらあとに引けなくなって無理が辛いのが俺で、女に振られて少し正気に返った友人は、いまや見飽きた怯懦と甘えであり、新橋の複雑な交差点の片隅でまた喧嘩になった。電話口に空寒い正論ばかり吐いていた俺には、けれども、「ダメだったら、じゃない、うまくいくまでやるんだ」という叱正が、現時点ではもっとも信じられる言葉だった。そしてそれは、かつての自分にも向けたい言葉だったことにも気づく。とはいえ、膝に甘える女もなく、同じような状況に陥れば、俺だって分からない。美学をかなぐり棄てて弱音を吐いたかもしれない。そんな苦さを味わった午前2時、やや運転が下手になった気がする車のなか、スピノザの決定論について思い出す。知るよしもない俺たちにできることは、ただ流されていくことだけだ。坂口安吾は、運命に柔順な者のすがたは妙に美しいものであると言った。あれこれ壊れ壊れて永らえてきた終着点がここなら、その決定論はまだ、ひとの体温を残している。怯れてはいけない。美しさと正しさのみを追い求めよ。この決定論のなかで、自分が自分であることはいつまで続くのか。

CMのあと、さらに驚愕の展開が!!