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フェミニストに漂うウザさについて

ハフポストが元2ch管理人のひろゆきにガチのフェミニストを差し向けて「フェミニズム」について聞く、という愉快な記事を読んだ。

https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_5e3cb7f5c5b6b70886fd0627

実は俺もひろゆき氏にはインタビューしたことがあるんだけど、「インタビュアーが用意した構成通りに話を拾いにくい」という意味で、なかなか手強い相手だったことは覚えている。1コ1コのコメントはスジが通っているだけに、結果的に当初の狙いとはズレた記事になるんだけど、とはいえ、それはそれで面白かったりもした。

インタビュアーのフェミニストがどういう記事をイメージしていたのかは知らない。けれども、記事でひろゆきが語っているのは主に3つ、乱暴に要約すると以下の通りだった。

① 専業主婦の母は楽そうだった
② 女のひとは顔が良ければ生きるのが楽
③ いまのフェミニズムはフェミニストではない者によって変質しており、フェミニストを名乗らない方がフェミニズムをやりやすい

これら主張については一旦措くとして、この記事や主張に対する反応がいわゆる“フェミニスト”の生態をあぶり出す格好の好餌となっているのが記事の面白さだ。

まず記事に対する反応なんだけど、やや左派寄りのハフポストではあり、さっそくフェミニストのひとから「フェミニズムについてひろゆきにインタビューするなんて見識を疑います!」などとクソリプを食らっている。
「見識を疑います」というフォーマルな上から目線がまず面白いんだけど、記事のなかでも「② 女のひとは顔が良ければ生きるのが楽」と語るひろゆきに、インタビュアーが「日本の女性の生きにくさを知らないんですか!?」とキレていた。

なんというか、俺はこの2つの反応に典型的な現代のフェミニストを見るものである。
まず、フェミニストのひとは、フェミニスト以外がフェミニズムについて語ることを決して許そうとしない。男女の問題であるのに、だ。フェミニズムについて語れるのは、女性として男性社会から脅かされているフェミニストのみ、というのが基本的なスタンスである一方、「日本の女性の生きにくさを知らないんですか!?」などとフェミニストが規定するフェミニズムの諸問題について知らないことについては怒られたりする。

「日本の女性の生きにくさを知らないんですか!?」

いや、知らんし。
なぜ自分たちに正義があるような前提で話しはじめるのか。
これがフェミニストに典型的な鬱陶しさである。
とにかく連中はひとの話を聞かない。

たとえば俺がフェミニストなら、「② 女のひとは顔が良ければ生きるのが楽」というコメントに対して日本の女性の生きにくさ云々などと反問を向けたりはしない。むしろ、話を汲んで相手の女性観をより克明にあぶり出す質問を探すと思う。その方がフェミニズムの正当性を語りやすいはずだからだ。
ところが実際は「日本の女性の生きにくさを知らないんですか!?」というインタビュアーにあるまじき反問になってしまっている。まず女性の容姿が有利に働く“観察”について詳しく聞け、という話なんだ。インタビューなら。
とはいえ、ここを詳しく掘り下げることはできない、という事情も分かる。
というのも、理由は各自で考えて欲しいんだけど、フェミニストにとって「容姿の良い女性が得をする」というのは、男性社会に対抗するうえで、決して認めることはできないタブーになっているからだ。

美人は社会で得をする。
これはごまかしようのない事実で、この不公平を認められないところにフェミニストの悲しさがある。
結果、女性の自立とか社会進出とか、本来のフェミニズムとは乖離した過激なミサンドリーまでフェミニストを名乗りはじめ、すっかり嫌われものになってしまったのが現代のフェミニズムである。
そういう意味で、ひろゆきの言う「フェミニストを名乗らない方がフェミニズムは上手くいく」というのはまったくその通りで、男性への過激な攻撃を代行してくれるミサンドリーをこれ幸いと野放しにした結果、自浄作用のないフェミニズムの看板はどうしようもないほど汚れてしまった印象だ。
後半の記事をどうまとめるのかは想像もつかないけれど、フェミニズムがなぜこうも嫌われる思想になったのか、その点についてフェミニストの弁解が聞きたい。


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