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俺とバイクと“意味ねーたー”

地球の赤道周はおよそ4万キロだという。
手に入れたときは1万キロ弱だったオドメーターも先日5万キロを超え、だいたい地球を一周分を走ったことになる俺のエリミネーター250SEである。とにかく鉄屑のようなバイクだった。
けれども、愛すべき鉄屑だった。

ちょうど3年前、たぶんどこかの小僧が回しすぎたせいでエンジンが壊れかけたエリミネーター250SEを見つけて、誕生日に景気良くタトゥーをブチギメたついでに衝動的に買ってしまったバイクなのだった。当時の俺はまたつまらない失恋をしてメソメソしていた最中で、バイクにでも乗りたい気分だったのだと思う。バイク屋の片隅に無造作に置かれたポンコツは、どこか自分と重なるものがあり、こいつを修理して乗ることに決めてしまった。
とはいえ20年近くまえのバイクである。とっくにパーツは絶版しており、慣れないヤフオクでキャブレーターやらタンクやらを落札しては地味に再生していった。盆栽に似た愉しみがあった。
ところが動くようになると250ccにしては結構速いバイクである。とくに加速が伸びる。それもそのはずで、エリミネーター250SEは、ふつうは空冷Vツインエンジンが選ばれるクルーザータイプのくせに、水冷パラレルツインエンジンを搭載した「おまえそれ反則だろ笑」みたいな変わり種のバイクなのだった。クルーザーでもなく、かといってネイキッドでもなく、まあ率直に言えば不人気車だった。
このあたりは当時のカワサキ重工の販売戦略とも関係があって、ときは80年代、カワサキ初の水冷エンジンとして設計されたGPZシリーズが優秀すぎたこともあり、そのエンジンを排気量ごとにチューニングを変え、クルーザータイプに転用したのがエリミネーターシリーズだった、というわけだ。そのせいかエリミネーターにはGPZ同様に兄弟車が異様に多い。俺が知っている範囲でも排気量べつに900、ナナハン、400、250、125などがあった気がする。

かくして、鉄屑から再生を遂げたエリミネーター250SEで中年になったおじさんのバイクライフがはじまる。さすがに「鉄屑」と呼ばれるのを不憫に思ったのか、部屋がぬいぐるみで埋もれているサイケな女の子から「クマ鉄」という可愛らしいなまえまでつけてもらった。二人乗りもしやすい楽なバイクだった。ろくに曲がらないことに目をつぶれば、若い頃に乗っていたSV400Sとは別次元の扱いやすさである。しかもまあまあ速い。下駄がわりにずいぶん走り回った。個人的には音がそれほどうるさくないのもポイントだった。公道で自己主張したい歳でもない。

とはいえ20年まえのバイクである。※2度目
たまにガソリンの小便を漏らして立ち往生するポンコツぶりにはずいぶん難儀させられた。これは古いキャブ車にはよくある症状で、ガソリンタンクのサビがキャブレーターのフロートバルブをつまらせると延々とガソリンが漏れ出し、気化したガソリンによってキャブレーターの燃調が狂い走行不能になるわけだ。そんなときは長めのプラスドライバーさまの出番となる。取り出しやすい場所に常備していた。まずドレンスクリューを回してキャブレーターからガソリンを抜く。フロートバルブが正常にもどるとまたエンジンが回り出す素朴なメカニズムは古いバイクの良さかもしれない。しまいには走行中にガソリンコックを左手で操作しながら乗り続ける“技”まで身につけてしまった。いまは電子制御式のFI(フューエルインジェクション)が主流になってしまったけれど、俺がキャブ車を評価しているのは、ベンチュリー効果を利用した原始的なメカニズムにささやかな浪漫があるからだ。たとえば核戦争が起こってEMP攻撃で電子機器がオシャカになっても、つまるところ霧吹きの原理を応用したキャブ車はしぶとく動く可能性がある。実際はセルモーターが死んでいる可能性もあるんだけど、YAMAHAのSRのようにキック始動にこだわり続けている哲学めいたバイクもないわけではない。

話が逸れた。
4万キロにはいろいろな思い出があった、という話だ。

最初にコケたのがこれだ。赤坂から四谷に向かうカーブだったと思う。怖い先輩から焼肉屋に呼び出され、あやうく自分がひき肉になるところだった。しかたなくレッカーにバイクを預けてから血まみれのTシャツで焼肉屋にタクシーで向かった。根性のあるやつだと褒められた気がする。

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そして半年もしないうちにこんどは下手クソなフロントロックで左肩の骨がバラバラになる。左上腕骨粉砕骨折である。チタン製のプレートと11本のボルトで改造人間に強化された。あまりにも面白かったのでロゴまで作った。

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ふつうはこれで懲りるんだけど、骨折程度では懲りないのが馬鹿の特徴だ。どうしてもまたバイクに乗りたかった。このままビビってバイクから降りるのはカッコ悪い気がしたからだ。毎晩動かせもしないマニュアル車の運転席に座ってせっせとリハビリに励んだ。左手でギアを1速に入れられるまで2ヶ月はかかった気がする。修理から戻ってきたクマ鉄は「ELIMINATOR」のロゴの「EL」が削れて「意味ねーたー」になっていた。かわいそうなクマ鉄だった。バイクで馬鹿な真似をしても「意味ねーたー」と、ずいぶん示唆的な皮肉ではあった。とはいえ結局、冬をはさんで半年後にはまたバイクに乗っている。おかげさまで怪我のまえよりも筋力がついた。

翌年2018年の夏は石見銀山でも見に行くか、くらいのノリで大阪経由で本州の西端までノープランで出かけていく。京都の女の子の部屋に泊めてもらって、大阪ではスナワチの前田さんに会って、鳥取砂丘を眺めて、石見銀山の近くの温泉に入って、帰りは台風に直撃されて神戸の先輩の家に避難して、帰りには美しい虹を見た。

スピードを出しすぎて免停になったこともある。2度目の免停では裁判所に呼び出され、ほんとうに懲りない馬鹿だなとつくづく反省した。一年以内に免停を2度食らうと免許証の持ち点が6点から2点になるんだけど、これがどういうことかというと、ほとんどすべての違反で3度目の免停に突入するため、免許取り消しまでの秒読みがはじまった感じだ。瀕死の免許証を救うためには無事故無違反で一年間やり過ごすしかないんだけど、白バイの取締りをギリギリで免れたり、まあいろいろとギリギリだった。

これは俺の持論なんだけど、やはりバイクは馬鹿のための乗り物だと思う。雨には濡れるし下手にコケれば即死する。けれども、だからこそ面白い。自分の判断とアクセルでよろこびと後悔を紙一重でくぐり抜けていく瞬間に、味わいがたい自由の本質がある気がする。

ところで、最近俺はノリで大型二輪免許を取得してしまった。さらに馬鹿に磨きをかけようという魂胆だ。愛すべき鉄屑ことクマ鉄は実家に隠居させて帰省のたびにメカいじりをするつもりだった。ところが──

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嗚呼、父よ。。。
また全国ニュースに顔を乗せてやろうかなと思わないではなかったけれど、その正論はよくわかる。ましてや日に日にコロ散らかしていく最近の都内でもある。Go To トラブルで田舎に帰ってこられては困る事情も察した。
とはいえ、廃棄同然にバイク王に手放すのは忍びない愛着もある。

そこでだ──

このクソ長いエントリを読んでくれたひとのなかにもしバイクがほしいひとがいたら、よろこんでクマ鉄を譲ろうと思う。もちろんタダでいい。ただし鉄屑同然のポンコツだ。ちゃんと整備してから乗ってほしい。まだまだ走り足りないと聴こえた気がしたんだよね。

俺のクマ鉄をよろしく頼む。
これは、そのためのエントリだ。

追記: クマ鉄を引き取ってくれるひとが見つかりました。ありがとう。最後に洗ってやった。

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CMのあと、さらに驚愕の展開が!!