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閃ハサこと閃光のハサウェイが予想以上に面白かった件について、

折り悪くコロナの自粛によって延期が重なっていた「機動戦士ガンダム閃光のハサウェイ」なんだけど、ようやく封切られたらしい。らしいというか、この目で見てきた。正直、さほどの期待はなかった。ところが、である。



知らないひとのために閃ハサを三行で説明すると、もともとは(上)(中)(下)の三巻にまたがった御大による薄いガンダム小説だった。いうまでもないけれど、御大とは富野由悠季大先生のことを指す。俺がガキのころにはすでに文庫化(現在は絶版)されており、いまではもう古文書に近い。正直なところ悲劇的な結末以外は印象が薄かったんだけど──ところが古文書のなかのガンダムさまは後年、平成のキッズたちを中心としたスパロボ勢から謎の人気を集め、映像化がないままキット化されたりするなど、いまでは主役級ガンダムの一角を占めるようになる。

古文書のガンダムさまはそんなにすごいのか?

率直にいうとデザインはもう中二のひとことに尽きる。

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この平成あたりの年代からロボットアニメの主役機にはやたら羽や翼が目立ちはじめるんだけど、閃ハサのガンダムは完全に航空力学を無視したトゲトゲのフォルムで超音速でカッ飛びながら戦う、という小説設定が痛快だった。ミノフスキードライブ、とかなんとか。ちなみにストーリーも薄い3巻であっというまに記憶からカッ飛ぶ。
細かいはなしはナシにすると、ガンダムというフォーマットは、正規軍側にガンダム(視点)があるのかテロリスト側にガンダムがあるのか、あるいは両方にあるのか、ほとんどのガンダムはこの3つに分類できる。
閃ハサの主人公は思想テロリストの親玉で、テロ実行犯としてさっそく正規軍と相撃つ構造なので序盤から話が早い。ただしこれはガンダムオタクに限った理解で、ガンダムを知らないひとには何がどの勢力なのかさっぱり分からないはずだ。勝手な理屈で市街地を空爆する主人公にも感情移入がむずかしい。しかしドンパチは派手で好い。とくにコクピット内部の視点を多用した戦闘場面には空間戦闘らしい臨場感があって、これは4DXと相性が良さそうだった。実際俺も4DXで見た。ガルパン劇場版以来の満足感があった。


にしても、意外と閃ハサは良作だったのではないか。無理めな設定やストーリーも映像になってしまうと公式然とした貫禄がある。これはもういちど閃ハサを読み直す必要があるな、とさっそくAmazonでポチった。うっかりKindle版を買ってしまって途方に暮れた。

正直に白状すると、主役4名のほかはほとんどのキャラを忘れかけていたんだけど、やはりガンダムの主人公をめぐる男女関係には揺るがぬ鉄則があるらしい。曰く、「手の届かないきれいなお姉さんに想いを寄せる主人公」である。閃ハサのヒロインは「80の老人に囲われた謎の少女」というオタク丸出しの設定なんだけど、初代ガンダムじみた三角関係が鏡像として再現されているあたり、さすがに本放送から40年を耐久したフォーマットの様式美には安定感があった。
もちろん“富野節”も健在である。いわゆる富野節を説明するのはずいぶん難しいんだけど、ごく端的にいえば「富野由悠季の脳内の抽象的なひとりごとを登場人物の会話に仮託した語り」である。この富野節のおかげでガンダムはガンダムらしく難解になり、登場人物らも“ちゃんとガンダムをしている感じ”になる。ガンダムオタクのおしゃべりがだいたい鬱陶しい感じになるのは、富野由悠季を聖典として使用語彙と物言いが歪められているからである。だが、それがいい。厨二丸出しのデザインはちょっとキツい閃ハサなんだけど、俺が見たかったガンダムはたぶんこういうやつだった。



はやく続きがみたい。



CMのあと、さらに驚愕の展開が!!