今日思ったこと

インターネット以前の世界では個人の持つ世界観は尊重されてきた。村社会的価値観で生き抜くことになんの支障もなかった。何故ならば生きる過程で相手にしなければならない人々の数が現代に比べ少ないからだ。
今は生まれ育つ過程でインターネットに触れないわけにはいかない。そこで否が応でも「世界」(あるいは全日本とでも言うべきか)と対峙することになる。
一個人が意識できる範囲の社会を越えてどこの誰だかわからない人の批評や好奇の目に晒されることもあるだろう。
望まざる対峙は人を萎縮させるのか?あるいは適応するのか?
育ちながら八方美人として磨かれて行くのか、あるいは他者との繋がりを閉じてしまうのだろうか?
「今」の生きにくさは人目の多さ、価値観の多様性がその根っこに居座っているんじゃないだろうか?
AさんもBさんも~Zさんまで立てながらゆらりゆらりと生き抜くことは出来るのだろうか?
ゆらりゆらりと生きながら「自分」を持てるのだろうか?
「自分」を保てる強さをどう得れば良いのだろうか?「よそはよそ!うちはうち!」程度で乗りきれるほど相手は弱くないだろう。
勇気や信念は自信の経験から生まれるものだと思っている。「何を言ったかより誰が言ったか」が重石になる世の中で、強くなるにはプレイヤーとしての力量がより問われるだろう。
ジェネラルなプレイヤーなどと言うモノが存在しない以上、結局は村社会の価値観に根差し自らを鍛え上げるしか道はないのかもしれない

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