無題

とても悲しく、やるせない事がありました。


前置きとしてまず少しだけ。
私は声優としてお仕事をさせて頂いています。そしてほんの少しの声優の矜持として積極的に話したくはなかったのですが、この話をする上で少々触れなければなりませんので書きます。
私の事を知っている人はもちろんそうだろう、と思うであろう事ですが、私は声優だけで生計を立てている訳ではありません。そしてその事は別に生計を立てている場での事です。
私の事だけでは無い個人的な事が含まれますので詳細には書きません。


私の働いてる所へいつも来ている息子さんとお年を召したお母さんがいらしたのですが、お母さんが体を悪くされて入院、もう長くは無いだろう、と息子さんが伝えに来てくださったのが年末の事でした。
年が明けてあれからどうしただろうと皆が心配していた所その息子さんがいらして、奇跡的にもなんとか持ち直し意識も回復したが、病院ではもう手の施しようが無い、延命措置を取るにしても本人を苦しませる事になる、延命措置を取るのか、それとも、という選択を迫られてしまった、との事でした。
コロナ禍で病院の面会も原則として出来ない状態。
本人の顔も見られないまま、本人の声も意思も聞こえないまま書面で迫られる命の選択の苦しさなど想像もつきません。


私は祖母の介護を数年していました。介護と呼べる程の立派な事は出来ていませんでしたが…
祖母は老衰という最期ではありましたが、水も食べ物も自分では取れず、小さく小さくなっていく体に点滴を通していました。
一つ一つの臓器が機能しなくなって、もう後は点滴も外して静かに終わりを迎えるしかない、人工呼吸器を着けても…という状態でした。
延命措置は取らず、ただ静かに見守る最期でした。
父が書面に同意し、署名する。
肺も機能しなくなってずっと息切れをしているような状態です。耳は聞こえているから声をかけてあげてください、と看護師さんから伝えられ、ずっと息切れをしているなんて苦しいんじゃないだろうか、呼吸器を着けた方が苦しまなかったんじゃないだろうか、ずっと考えながら側で手を握り、声をかけ、看取りました。
今のこの時世、それがどれだけ幸せだったのかという事を思い知りました。
声をかける事も、手を握る事も、顔を見る事すらも叶わない。人生を共に過ごした家族でも。
そしてそんな状態で突き付けられるものにどう応えれば良いのでしょうか。


どんな時世でも命の尊厳に対する考えは難しく、答えがないものだと思います。
ただ、今この時世でそれを考えて決めなければいけない時が来た時、あまりにも辛い現実が待っている気がします。
もしかしたら最期の最期には会えるのかもしれない。けど、こんな時世で無ければもっと穏やかに過ごせる時間があったのではないかと思うとやるせなさでいっぱいになります。


啓示出来る程の言葉も知識も力も私にはありません。こんな事を吐露した所でどうする事もできません。ただ目の前の事実があまりにも悲しく、辛くなりました。どんな言葉をかければいいのかも分かりませんでした。
伝えたい事としてこの文章を書いたのかも分かりません。だからこうしようね、ああしようね、とも言えません。ただ悲しくてやるせない事実が身近に起こったという事を書き連ねました。"ただ他人に起きた事"として受け止める事は出来ませんでした。
何が言いたいんだと思うかもしれませんが、今は結びの言葉が見付かりません。