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「ありがとうの日」と期待しない父

親に感謝を伝えたありがとうの日

先日2024年3月9日「ありがとうの日」に、親に感謝の電話をかけました。

本来なら、「親に感謝の気持ちを伝える日」である2月25日に電話しようと思ったのですが、疲れてるとかなんとかかんとかで、ずっと先延ばしにしてしまってました。

まだ僕が「毒親」と思っているとお思いの人もいると思うので、熱中症をきっかけに仲直りした時の記事を貼っておきます。

まず、母と話をしました。
補聴器のことやお金のことでとにかく心配な話が止まりませんでした。

母も補聴器ユーザーなので色々と息子が心配なんでしょうね。

そのあと、父に電話を代わって貰いました。

その時、母が「お父さん!! お父さん!!! あれ、いないなぁ」と大きな声で探し回る声が妙に面白かったです。

父はいつも通りだった

ほどなくして父に代わりました。

感謝の気持ちを伝え、仕事の話になった時、「今年は何かあると思うんだよねぇ」と伝えたところ、「アテにするなよ」と返って来ました。

話を続けると、「期待しない方がいいぞ」と後ろ向き。

その時思い出したのが、小学生の頃、何の話かは忘れましたが、「あまり期待しない方がいいぞ。思いが外れた時に落ち込まなくて済むから」と言ってきて、かなり長い間、僕は自分のことを期待せずにやって来ました。

今ではその考えは全く逆になり、自分は出来るぞとか、自分ならやれるといった、期待に変わりました。

しかし父はその逆。
「期待が外れた時に落ち込むのが嫌だから」と…。

自分には期待しない父、その割には、僕には心配やお説教までする人でした。

僕には期待をしていたのかも知れません。

最近はよく、「他人は変えられない、自分が変わるべき」という人生訓が流行ってますが、僕もその考えに乗っかってます。

これは、「他人には期待せず、自分に期待する」という言い換えも出来るかと思います。

こういう考えになってから、だいぶ生きやすくなったし、頭もスッキリしました。

しかし、父はその逆。
自分には期待せず、他人に期待する。

もしかしたら、知らぬ間に自分を生きづらくしているかも知れません。

もう70を超え、思いも頑固になり、変わることは出来ないでしょう。
たとえそれが自分を生きづらくする考えを持っていたとしても…。

僕は親を「毒親」と思っていた頃は、こんなことを言われたら恨み節を心で言ってたと思います。

しかし、今回は多少傷は付きましたが、「ああ、またこんなか。変わらないな」と、はすに構えて見ることが出来ました。

Xのポストの真意

そんな思いがよぎった時、Xにこんなポストをしました。

自分は自分、他人は他人ということです。

こう思えるようになったんだから、少し達観したかも…。
…自画自賛ですね。

親と言っても所詮は他人です。
だから(繰り返しますが)、「他人は変えられない、自分が変わるべき」「他人には期待せず、自分に期待する」。

親は人生の先輩ではあるけれど、絶対的存在ではない。
仲良くなったら、いい距離感が保てた…そんな感じです。

色々嚙み合わなかったけど、こんなことを思わせてくれた親に感謝です。

親は人生の先輩ではあるけど、他人なんだよなぁ。
そんなことを思った、2024年3月11日でした。

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