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昔は楽しかったのか

  深酒をした翌朝は、アルコールのせいかいつもより数時間早く目が覚める。カーテンの隙間からぼんやりと眺める外。猛暑が続きのまとわりつくような空気が、いつもは不快なだけなのになぜか少し心地よい。昼間は暑過ぎて全く聞こえない蝉の声がこの時期帯は驚くほどうるさい。東京にも、こんな夏の俗っぽさが存在するものなのか。この街での6回目の夏。それでもこの街は知らない一面を未だに持っている。

 東京の夏は、もしかしたら自分も何者かになれるんじゃないかと思わせてくれる。小汚い居酒屋で隣の客に最悪な絡み方をする男。シャッターの前で熟睡するホームレス。ゲロまみれの路地裏でイチャつく男女。ひっくり返った蝉。今年こそは何か変われるかもしれない。そう思っているのは自分だけではない事を、みんな薄っすらと知っている。

この街の夏はみんなが同じ夢の中にいるみたいだ。


 遠雷と土砂降り。駅前の広告と信号機。パトカーのサイレン。喫煙所の喧騒と、あの子が好きだったバンドのファーストE.P.。

音は記憶を媒介する。

 特定の曲を度々聴きたくなるのは、曲自体が力を持っているのではなくその曲に付随する体験や記憶によるものなのだ。ぼんやり外を眺めながら俗っぽい夏に耳を傾けて、誰かが昔そんな事を言っていたのを思い出す。

 全てが目まぐるしく変わっていく中で自分だけが変わっていないような気がする。

昔聴き漁ってバンドのアルバムを久しぶりに聴いた。インディーズ時代のミニアルバム、6曲入り1600円。
あんなに好きだったはずの曲が、なぜだかとてもつまらなく感じ、聴くのをやめた。


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