ビート詩の会合1988年

1988ねん 9月の下北沢。

「ジャックケルアックに捧ぐ・ビート詩の会合」

9月の終わり。
はじめて訪れた下北沢は、立派な玩具箱だった。
安いビニール傘と、ぴあMAPと歩く。
南口に降りたのは、午後6時。
皆が口を揃えて言う。「いい街」
細い商店街を歩く。ワタシも思う。「いい街」
ライブハウスLOFTの前は、黒山の若者。
ワタシの赤いセーターは、はじき出されそう。
キーワードは「BEAT」だもの。

まだ時間はある。じゃあ、折角の玩具箱を探検しよう。
まずお蕎麦屋さんに入った。
ビート詩人の会合の前に、天ぷら蕎麦も、かっこいいと思った。
ビニール傘をくるくる回しながら、くるくる街を歩いた。

6時半をすぎて、ワタシは地下へ続く階段を下りてみた。
静かな朗読につられて。
入ってすぐのカーテンの間から真島氏(当時ブルハ)の顔が見えた。
その瞬間に、案内DMの中の「JACK BELMOND」の正体がわかった。
ワタシはビールを注文した。
カーテンの控え室の中では、友部氏(友部正人さん)が
ぎゅうぎゅう詰めの長椅子で
「ほら、電車に乗っている気分だよ。」と
上機嫌に笑っていたのが見えた。

やっぱり彼は常時、詩人だった。感動した。

ライターの下村誠氏(今回のプロデュース)の解説で
開演前の朗読がギンズバークの声だ、と学習した。
とても静かで優しい雨のように、声がコトバになって聞こえた。
英語の内容は理解できないけれど、声の持つ旋律は伝わってきた。
以前ナムジュンパイクのヴィデオで聴いた彼の朗読とは、異なっていた。

篠原太郎は、アルバムジャケットの顔とは、違っていた。
歌も、アルバムジャケットのソレとは違っていた。
彼はとても美しい声とギターで、「時計仕掛けの世界の中で・・・」と歌った。
だけどあの空間だけは、時計の針から無視された世界になっていく気がした。
最近、切実にロックが嫌いになっていたワタシは、
彼の指が弦にキスを続けるオトに
思わず微笑んでいたと思う。
ギターを弾かないワタシには、10本と6本の微妙な関係が
とても神秘的で、この世のものとは思えない瞬間を拓いてくれる。

とにかく、椅子のないワタシタチには、忍耐が必要だった。
当日、半日だけ仕事をして、新幹線に飛び乗ったワタシには
観葉植物にもたれ、葉緑素と呼吸を合わせながら、忍耐を繰りかえすのみ。
時には、歌や詩に集中することすらできなかった。

だから、時折のアクシデントは忍耐を紛らわす恰好のオタノシミでもあった。
ボーイミーツガールは、「半径1㎞の日常」という時間を音楽に昇華させていた。
ΦKIが一声歌うと「おぉ、SION」と周りは盛り上がった。
眉毛のないところは、よく似ていたが、果たしてあのヒロシマのうたを
バンドで歌うとどうなるのだろう?
それにしても、ストリートビーツなんて、ヘンな名前。

次、日本のビートの象徴、諏訪優氏。
ワタシは彼の詩に触れたのははじめてだった。
ただのおじさんだった。
片隅でクエスチョンマークを並べてみた。「これがあの諏訪優?」
「あぁ、ワタシは、活字の行間が持つ独特の呼吸が好きなんだ」
と肯定しようと努力していた時
氏は、「デモクラシー」というコトバを発した。
その瞬間に否定する要素は吹っ飛んだ。
「でも暮らしは」と聞こえたのだ。
活字では想像できない。オトになって、変化するコトバたち。
素敵だと思った。今まで気づかなかった「コトバの余力」

髪を逆立てた謎のいぎりす人(真島氏)は
やっぱりワタシの時代の詩人だと確信した。
以前から彼の声には、やられっぱなしだったが、突然の停電のなか
生で聴く「うた」にワタシは行ったことのない日野橋にテレポートしていた。
誰よりも、彼の朗読は盛り上がったし、一番フィットした。
きっと何十年か前の朗読会では、諏訪氏が今の彼の存在だったのだろう。
客席が笑っていたのは、多分彼にとっても、詩の中がリアルだったのだから。

スナフキンの演奏もはじめてだった。
アコースチックなビートが効いていた。
尊敬するゲイリースナイダーの歌。
「ワタシはコレを待っていたのよ。」と壁にもたれ、微笑む。

それにしても金髪美人にすべてをもっていかれた。甲本ヒロト氏。
足の疲れも忘れてしまうほど、興味が勝った。
きっとジャンプしないお客の前で歌うのは、初体験だったのかも。

リアルでないモノを並べることによって、リアルな体験を引き出す
真島氏の朗読とは正反対な、金髪美人のギター1本の歌に
THE BLUE HEARTS の凄みを感じた。
THE BLUE HEARTS をはじめて観た時の衝動を思い出した。
THE BLUE HEARTSは、容易で深い。

待ちくたびれたような友部氏は、待ちくたびれたワタシに
また澄んだ目で詩を教えてくれた。
テープに併せた詩は、本当にすばらしかった。
「これは歌だから。」と彼は言ったけど
佐野元春の「エレクトリックガーデン」で朗読を学習したワタシタチにとって
現在の朗読のカタチのはず。

友部氏のいう「詩」も、思わず唸ってしまった。
必ずオチのある詩に、ワタシはいつも頷くだけ。
「にいさん、しあわせそうだね。」

すべてが終わり、疲れた足でLOFTをあとにした。
明日の朝は、7時の新幹線に乗る身。
またビニール傘をくるくる回しながら、商店街を歩く。
もう、ワタシの街 の気分。
後ろを歩く女の子たち。
「あんなのフォークソングじゃない?」
ワタシは、フォークソングという語彙をも忘れていたので
びっくりしてしまった。
アコースティックギターだったら、フォークソングなのだろうか?
少なくとも、飽和状態の安物ロックバンドよりは、
今夜のみんなは断然かっこいいと思った。

ワタシの「路上」は、まだ通読されていない。
しおりが挿んだまま。
黄色いビートの本(現代詩手帖)もまだ。
気が付いたときに、ぺらぺら捲る。
このイベントに行くことになった時に、慌てて知識を集めた。
ゲイリースナイダーは好きだし、ロバートクリーリーは
佐野くんに通じる。
もっと知りたいと思う。

でもどうしても「路上」ではわくわくしない自分がいる。
ワタシはアメリカで生まれていない。
1963年の平和な日本で生まれたのだ。
だから、どうしてもジャックケルアックよりも、
友部正人の詩のほうが
理解できるし、どきどきする。それは、仕方がない。

翌日、なにも無かったように、会社の顔をつくり、出社時間に間に合うように
新幹線車両にのった。
本当は、ホーボーに憧れているのに、1988年の自称ボヘミアンは
こんな生活しかできない。

家に戻り、マークコスタビのポスターに、ギンズバーグのイラストカードを
ぺたぺた貼った。
これが、ワタシのせめてもの意志かもしれない。

1988/10/2


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