【配信を拝診⑯】父の愛を求め続けて裏切られ続けた永遠の少女... セルフプロデュースで糧を得て未来を失った大女優伝記作品 Netflix独占配信映画『ブロンド』
結論から言おう!!・・・・・・こんにちは。
昨夜、玄関先で床を這う黒いアレを見てしまって戦々恐々なO次郎です。
今回はつい先日、Netflixにて配信開始となったマリリン=モンローの伝記映画『ブロンド』についてです。
当然ながらというかリアルタイム世代ではないので後追いで映画作品を観たことがあるぐらいで強烈な思い入れは無く、強いて言えばドキュメンタリー番組でその死の疑惑についてあれこれ陰謀論的に語られているのが印象に残っている方でした。
本作では彼女が女優となってからスターダムに上り詰め、そのイメージに苦しみもがく姿を、結婚と恋愛と性にフォーカスしつつあぶり出しています。
そしてどの道であれ、スターとなった人物は往々にして金銭面であったり対人関係であったり創源性であったり爆弾を抱えているものですが、果たして何が彼女のアキレス腱であったのか、という生き方の話でもあると思います。
そのあたり、一通り鑑賞してみて自分の感じたところを書こうというところで、既に鑑賞済みの方はもちろん、ネトフリ加入されていて本作をどんなもんかな?と探り状態の方の参考になれば幸いでございます。
その際、ネタバレを含みますのでご容赦くださいませ。
それでは・・・・・・・・・"ぶっっぶっっぶっっぶちょぉぉ~っっ!!"
Ⅰ. 作品概要とマリリン=モンローその人について
※日本語版ページが無いため、翻訳等でご参照ください。
物語は幼少期のトラウマの記憶を経てモデル・駆け出し女優時代の辛酸を舐めた日々から人気を得ての共演俳優たちとの束の間の楽しい日々、そして一度も体験した覚えのない父性を求めての結婚遍歴とその思いがけぬ終幕までを描きます。
まず幼少期については、母グラディスが自分の妊娠を契機に恋人に捨てられた経緯から精神を病んでおり、彼女を虐待するに到って妄想型統合失調症から終生を療養所で過ごすことになり、後のマリリンことノーマは孤児院に入れられることになります。
実際はごくごく幼い時分には継父も同居しており、離婚後も母親は出稼ぎで家を空けつつも甲斐甲斐しく暮らしていた時分もあったようなので事実とは些か異なるようですが、この経験によってノーマの自己肯定感が著しく損なわれたことは間違いなさそうです。そのことが後に彼女を女優として大成させ、その後も演技の勉学に励むハングリーさを養った面もあるのでしょうが、一方で自分を肯定してくれる者への依存も根強く、重い十字架となったことは間違いないでしょう。
そして作中では少女期を大胆に省略してモデルから女優への転身の時期に移ります。モデル時代にはピンナップモデルとして採用され易い最大公約数的なニーズに応えるために髪を直毛のブロンドにし、生活のために際どい写真も受け入れ、駆け出し女優となっては映画会社重役に密室で暴行されてもキャリアのために泣く泣く口を噤んでしまう…。そしてヒット作の一つ『ナイアガラ』で己のセックスアイコンとしてのビジュアルを獲得して世に刷り込み、ドル箱スターとして確固たる地保を築く。
広範で浅い、そして狭く強烈な諸々のニーズに応えている、という意味でセルフプロデュースとしては非常に大きな効果を挙げていますが、その一方で自己実現からは加速度的に遠のいていっているようにも見えます。
上記のように幼少期に自己肯定感を著しく損なわれてしまったためとも受け取れますが、それにしても世の様々な男性のニーズにばかり迎合してしまったのが結果的にその後の彼女を苦しめ続けたのではないかと思います。もし孤児院時代に里親にNO!と自分の意志を突きつける女友達がいれば、モデル時代に自分の中に確固としたボーダーラインを持っていてオファー側の過剰な要求を断固拒否する女友達がいれば、女優になってから性接待や愛玩動物のような振る舞いを強いる周囲を毅然と固持する女友達がいれば、"ダム・ブロンド"と呼ばれる男性に都合の良いモンロー像の肥大化に待ったをかけてくれたのではないかと思います。
それではあそこまでのスターに、あそこまで早くして成れなかったのかもしれませんが、その後のアルコールや薬物への依存を見れば美人薄命という美辞麗句では片づけられないはずです。
そしてニーズに応える対象が男性ならもたれかかるのも男性…ということで、作中では特に2回目、3回目の結婚生活が象徴的に描かれています。
2回目の相手のジョーも3回目の相手のアーサーも"パパ"と呼んでいることがまさしくですが、配偶者に父親役を求めていることが明らかです。
幼少期および少年期についぞ得られず、それを相談する相手も得られず父性への渇望を引き摺った彼女は、結婚相手にお互いを尊敬し高め合う存在ではなく、自分を世の煩わしいことから庇護してくれる相手を求めてしまいます。
元来の嫉妬深さもあるジョーはセックスアイコンとしてのノーマの女優業を叱責し、アーサーは自分の世間体を気にしつつ彼女が依存症に陥ってからは腫れ物に触るようで、それぞれ自分と決して対等ではない娘のように扱っていました。
もちろん、時代的に言っても男性優位の思想は疑いようがありませんが、男性では彼女を"良き妻"や"良き女優"へと導けはしても、一人の女性として理想と現実にどう折り合いをつけて生きるかは指南し得ないでしょう。
さらに彼女は堕胎や流産の結果、母親にはなりませんでしたが、もしそうなっていたとしたら夫側は彼女に"娘"でいることを許さなくなり、自分の立場を脅かした実の子を虐待することになってしまったかもしれません…それこそかつての彼女の母親のように。
それゆえ、女優として売れ出した際の俳優仲間のキャスとエディとのポリアモリーとは父無し子という体験こそ共通していましたが、やはり関係が続いていたとしても彼女のコンプレックスの根本的救いには成り得なかったと思います。
そして物語終盤でのビリー=ワイルダー監督との撮影に関するヒステリックなやり取りは観ていてなんとも胸が痛いものでした。
相応の地位と名声を得たことでこれまで抑えていた自己実現の要求が爆発し、その折衝方法を自ら見出したり他人に相談できなかったがゆえにゼロか100かで要求を周囲に叩き付けており、まるで幼子のようです。
暴力的に醜聞を仕立て上げるマスコミと自分の根源的欲求には向き合ってくれず性の捌け口を求める周囲の男性たちに神経をすり減らしていく彼女にとり、彼女の活躍を陰ながら応援している実の父親からの折に触れての手紙だけが唯一といっていいぐらいの支えでしたが、病に倒れたキャスからの便りで彼の狂言だったことが判り、ショックのあまり遂にオーバードーズに陥ってしまいます。
彼女の命を想えばそのまま秘して相棒のエディが狂言を続けてくれれば良かったのかもしれませんが、己の死を前にしてこれまであまりにも多くの周囲からの瘴気に曝されてきた彼女に対して最後に誠意を示したかったのも理解できるような気がします。
本作を観る限り、彼女がセクシーなブロンド美女として出演した数々の全盛期のヒット作は製作側の覚えが良い一方で彼女にとっては忌まわしく、反対にそのイメージから脱却しようと我儘を貫いた晩年の作品は皮肉にも製作側には苦々しく興収という旨味の少ないものだったのでしょうか。
彼女が己の既成イメージを打破しようとした作品を、セックスシンボルとしてではない形で記憶するのが一つの供養の在り方になるのではないかと思いました。
Ⅱ. 監督とキャストについて一言二言
・監督 - アンドリュー・ドミニク
本作では視界が歪んだり、胎児からの視線だったりとドラッギーないしエキセントリックな画角が目立ちました。
南北戦争後の義賊の如きアウトローを描いた『ジェシー・ジェームズの暗殺』は普通に物語としても面白いものの3時間近い長尺、ということで、まずもって撮りたいフェティッシュな構図が存在し、話の筋や山場等は二の次な監督なのかもしれません。
ともあれ、逆に言うと感性が合えばハマる人はハマる監督なんだと思います。
・ノーマ=ジーン(マリリン=モンロー) - アナ=デ=アルマス
以前、『グレイマン』の記事の時にも書きましたが、その美貌とどこか不釣り合いなコミカルな雰囲気が最大の持ち味だと思ってるのでそれがほぼ封印された本作は正直う~んというところ。次作は『グレイマン』でも共演したクリス=エヴァンスとのロマンティックアクションアドベンチャーとのことですがはてさて...。
Ⅲ. おしまいに
というわけで今回はNetflix独占配信映画『ブロンド』について書きました。
なんというか思っていた以上に重苦しい内容でしたので、これから観られる方はスターの孤独と苦悩に向き合う覚悟で臨むのがよろしいかと思われます。
最近、配信映画・ドラマの記事をあんまり書いてなかったので、またぞろそちら方面も書いていく所存です。
今回はこのへんにて。
それでは・・・・・・どうぞよしなに。
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