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【最新作云々⑯】30年前の未解決殺人事件を追う映画に当時の担当刑事が主演し、当時近所に住んでいた少年が監督した異端作... "調べても意味が無い"に抗い続ける映画『とら男』

 結論から言おう!!・・・・・・・こんにちは。( ˊ̱˂˃ˋ̱ )
 昨日、帰りの通勤電車でPS5本体を購入した帰りと思しき紙袋を抱えたお兄さんを見掛けて羨ましかった、O次郎です。

※私の知人で持ってるのは1,2人ぐらいですが、彼らにしても持ってるのはDLソフト専用のデジタルエディションのみ。ソフト版も対応の通常版を非転売価格で手に入れた方なんて果たして存在するのでしょうか…。まぁ、今日日のダウンロードソフト環境なら問題無いでしょうが。
ともあれ、そう考えるとダウンロード専用のPSPである"PSP go"はまさに10年早いツールでしたね。(・∀・)

 今回は最新公開映画『とら男』について書いてみます。
 今から30年前に発生し、2007年に公訴時効が成立した実在の未解決事件である金沢・女性スイミングコーチ殺人事件を題材に、なんと非俳優の当時の担当刑事が主演し、事件現状近くで幼少期を過ごした監督が撮り上げたセミドキュメンタリーという異端作…。
 その根底に警察組織の縦割り社会と無謬性への強い抗議があるため、警察内部での物語とは成り得ず、一人の女子大生の卒論研究という体裁を取ってはいますが、それゆえに単なる内部告発ではなく、周縁に忌避されて忘れ去られた事物に敢えて踏み込むことへの倫理を問う作品にもなっていると感じました。
 ちょっと変わった映画や『実話ナックルズ』的な未解決事件がお好きな方々、読んでいっていただければ之幸いでございます。 
 それでは・・・・・・・・・・・・・・・ノーマン=リーダス!!

「じゃあもしPS5本体手に入ったら何をプレイしたい?」
と問われるとう~ん是が非でもってものは・・・となっちゃうんだけど。
取り敢えず『DEATH STRANDING』か。PS4版からしてプレイしてないしぃ。



Ⅰ. 実際の事件概要について

 本作の主演で、発生から10年後に担当刑事となったとら男さんの見立てでは、被害女性と当時交際中ないし交際に発展しそうだった顔見知りの同職の男性による痴情の縺れからの犯行、ということのようです。
 本作のパンフレットは無いようですが(訂正:ちゃんとパンフも販売中のようです…ユーロスペースたまたま受付混んでて見えなんだ…orz)、件の西村虎男さんはこの映画以前にルポやフィクション小説も執筆されているようで、本事件のあらましと迷宮入りとなった経緯の推察がまとめられている著作がありました。

 それによるとどうも、

〇事件発生当初の初動捜査に於ける指揮幹部の独断に基づく捜査と集めた証拠の裏付けの不確定が向こう10年間捜査を暗礁に乗り上げさせてしまう。

〇その時点で担当刑事となったとら男さんが膨大な手間と時間を掛けて従来の捜査記録の矛盾を詳らかにしつつ腕利きの部下とともに再捜査した結果、当初除外された容疑者がクロの可能性が高まる。

〇その一連の"尻ぬぐい捜査"が組織内で過去の捜査とそれを指揮した幹部への反抗と受け止められて両名とも左遷させられてしまい、後任の刑事たちに残した再捜査の道筋の資料も黙殺のみならずアンタッチャブルな事案として申し送りされてしまい、結局時効を迎えた。

というのが事の経緯のようです。この"当初の捜査方針を否定するような再検証だったゆえに上からの圧力で打ち切られた"的な展開で思い出したのがこちら。

 これらの内容から察するに、もし各事件の捜査の方針が誤っていたとしてその立案元が幹部クラスであったとすれば、それを正すためには内部政治が必要、ということになります。
 とら男さんの場合は末端の捜査員がこれまでの本事件の捜査の誤りに気付きつつ再捜査の糸口となる資料を残し、幹部クラスにも違う方面からの再捜査を働きかけた、とのことですが、それが結果として裏目に出たというか、上層部から"排除すべき異分子"として一致した見解を持たれたことでそのまま方針を変えさせるには至らなかった。
 つまりは、もしとら男さんが当初の捜査幹部と対立している同等キャリアの幹部を見つけ出し、そこだけに当初の捜査の誤りと再捜査の道筋をプレゼンしていれば、その対立幹部への利益誘導という形で"尻ぬぐい捜査"が結実し、公訴時効前の犯人逮捕という形で実を結んだかもしれません
 なんだか『半沢直樹』みたいな企業出世もののようなキナ臭さですが、要は企業や政治のように"権力者の沽券が何よりも優先される"という原理が警察組織にも存在しているよ、という話だと思います。
 そしてそれは言い換えると、企業や政治であればその利益戦略や政策の良し悪しの判断は人によってその評価が分かれるものですが、こと警察の犯罪の抑止や犯人逮捕に至っては世の誰もが求める公共の利益であり、その領分にまで漏れなくパワーゲームの理屈が適用されている、という現実の薄ら寒さ、ということではないでしょうか。
 
 もしとら男さんが警察官ではなく一介のビジネスマンであれば、
〇初動捜査 = 当初の販売戦略
〇再捜査  = 販売不振に伴う立て直し戦略
ということで、"当初の販売戦略は役員の肝入りだった"”とら男さんの立て直し戦略は的を射ている素晴らしいものだったんだけど、それを売り込む先を間違えた””とら男さんは顧客第一主義で消費者のニーズを捉えているけど、出世するタイプじゃない”みたいな話になるかと思います。
 扱うものが商品であればそうなのでしょうが、人命や社会正義を扱い、断行する国家機関にまで世渡りや根回しの理屈が蔓延ってしまっていることが問題なのでしょう。
 幹部の責任になることがネックとなって殺人事件の真相が闇に葬られるのとすれば、結果的に事件の迷宮入りや冤罪を防げるのであれば敢えて幹部の責任逃れや末端への責任移譲の仕組みを設けるべきなのか・・・みたいな事を考えるのも暗澹たる気持ちになってきますね…。



Ⅱ. 作品と監督について

※Wikiのページは存在しませんでしたので悪しからず。

 事件発生当初の捜査の誤りに10年越しの着任ながら気付き、少数ながらも孤軍奮闘で真犯人と思しき人物に辿り着きながらも、他ならぬ自らが所属した警察組織の壁に阻まれて事件が未解決となったとら男さんの無念。
 真犯人を暴くことよりも警察組織の欺瞞を暴くことに使命感を感じていることがその著作からは感じられましたが、本作では東京の女子大生の卒業論文製作の形をとっており、とら男さんはあくまでそれを補佐する立場で、”事件の周辺の人々が記憶を意識的・無意識的に風化させており、時効という法制度の区切りも付けられている中で、部外者がそこに踏み込む意義”を問いかけています。

女子大生は東京に住んでおり、事件のことは卒論でテーマにしようとしていた
植物の絡みでたまたま知って興味を持った程度。
いわば完全な"部外者"であって、その彼女が事件に踏み込む必然性の有無を考えさせられます。

 事件の関係者でも捜査関係者でもない彼女のきっかけはどうしても"興味本位"となってしまい、事件現場近隣のお店の人、被害者の職場のスイミングスクール、被害者遺族と体当たりでインタビューしていきますが、その相手にその覚悟のほどを図られます。
 私事ながら、作中の女子大生の調査を見ていて、新卒の頃の自分を思い出しました。ほんの短い期間とはいえ、飛び込み営業をしていたことがあるのですが、相手相手に邪険にされ、時にはその正義を問われて己の行動に深く煩悶したものです。

 作中後半、被害者の両親に話を聞きますが、「犯人には自分が犯した罪と生涯をかけて向き合ってもらいたい」とのことでした。
 今現在は刑法改正によって殺人事件の時効は廃止されていますが、本事件についてはそれ以前の事件ゆえに適用外。時効が成立した今になってしまってはたとえ真犯人が自白しても罪に問えず、犯人に罰を受ける覚悟があったとしてもその家族が後ろ指を指されるだけの結果になってしまい、それでも真実を吐露したとして"自己満足"とさえ見做されてしまう可能性も有るわけで・・・まさに島崎藤村の『破戒』をも彷彿とさせます。

 "公訴時効後に犯人が殺人を自供"ということではこの事件を思い出しましたが、これにしても犯人が自供した背景には被害者の骨が発見されて事実が明るみに出てしまうかもしれないという背景が有ったわけで、やはり社会的な罰が与えられない、"時効"というものが過ぎた場合はそうしたある種打算的な事情が無いと実行には移さないでしょう。

もう一つ思い出すのが刑事ドラマ『特捜最前線』の第188話「プラットホーム転落死事件!」。
とある男性が駅のプラットホームから落ちて轢死した事件で、直前にその男性と揉めていた男性が彼を突き飛ばしており、物的証拠しか無いために被疑者に対して自白を勧めるエピソード。
とら男さんが時効前の再捜査時にもしこの手法を採っていたら間違いなく越権捜査との誹りを
受けていたでしょうから、やはり現実的ではなかったと思います。

 映画では最後、一連の調査を行って真犯人と思しき男性に辿り着きますが、「とら男さんも最初からその人が真犯人だと見てたんだったらなんで私に調査させたんですか?!」と怒って東京に帰ってしまいます。
 その後、とら男さんはその真犯人に電話して会いに行って・・・何を話したのかは描かれていません。
 もちろん、時効成立しているので罪には問えませんし、とら男さんも既に定年退職していて刑事ではありません。よって、作中でのとら男さんが女子大生にさせた調査は、"先入観の無い一般人から見ても同じ人物に辿り着けるか?"という、いわば首実検であったことになります。
 "世間的には調べても意味が無いとされている物事を調べることも、自分としては何かしら意義があったと思います"とは、一連の調査が終わった後に女子大生が就職面接で面接官に話した自己PRでしたが、それがとら男さんの思いでもあり、引いては監督の思いでもあったということでしょう。


 監督の村山和也さんは映画としては本作が二本目で、前作の『墜ちる』は地下アイドルにのめりこむ中年男性を活写した作品のようです。
 何かにのめり込んでいる人のお話、という意味では本作も同じですが、とら男さんは本事件の一番の当事者である被害者のご両親の思いを大切にしていたのは間違いないようで、そこは終始一貫していました。


Ⅲ. おしまいに

 ということで今回は最新公開映画『とら男』について書いてみました。
 だいぶ取り留めも無い話になってしまいましたが、一人の誠実で愚直とも言える熱意を持った元警察官の生き様が彼の険しい表情に現れており、それが映像ディレクター出身の監督の示した画角で有無を言わせぬ圧力になっていたように思います。
 事件のルポとしては些か中途半端だったかもしれませんが、間違いなく執念は感じられる作品でした。ぜひともとら男さんの著作も併せて読んで、補完して考えてもらえればと思います。

 今回はこのへんにて。
 それでは・・・・・・どうぞよしなに。



 


バイオハザード RE:4』がPS4版での販売は無しの予定みたいだから、超欲しくなるとしたらそのタイミングか・・・・・・あと半年やそこらで劇的に状況改善はせんやろなぁ。(´・ω・`)

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