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【配信を拝診⑰】居場所を失った少女の願いが呼び寄せたのはユートピアかディストピアか... 大人になりかけの少年少女の生涯に一瞬の輝きを見せるNetflix独占配信映画『雨を告げる漂流団地』

 結論から言おう!!・・・・・・こんにちは。
 雨がしとしと降ってる今日はしとしとぴっちゃんしとぴっちゃん、なO次郎です。

※古参のファンの間ではこのTVシリーズの萬屋錦之介さん版か映画シリーズの若山富三郎さん版かで好みが分かれる、という話ですが・・・

※僕の世代にとってはまずコレや!!ということで。ヽ(・∀・ヽ)

 今回は先月半ばから配信開始となったNetflix独占配信映画『雨を告げる流通団地』についてです。
 年齢を重ねてすっかり保守的になってしまったというのか、単発のオリジナルアニメ映画の類いはなかなか観る機会が無く、本作も各種映画紹介サイトのトレンド上位に入っていたのでそれではと観てみた次第です。
 よって同じ制作会社のスタジオコロリドの過去作『ペンギン・ハイウェイ』『泣きたい私は猫をかぶる』も未見であり、そちらも予習しようかと思ったのですが、本作だけを観ての感想というのも有りかと考えてそのまま本作のみ鑑賞いたしました。
 鑑賞済みの方にはもちろん、ネトフリで観るべき作品を探している方々の参考として読んでいっていただければ之幸いでございます。ネタバレ含みますので予めご了解くださいませませ。
 それでは・・・・・・・・・・・・"大五郎議員"!!
 

作中では父の敵を討つために刀を手に取るわけですが、まさか演じた当人も修羅の道を・・・


Ⅰ. 作品概要

 少年少女の異世界漂流ものとなると、内容としては食料調達や外敵との戦いあるいは権力闘争といったサバイバル面を重視した活劇と、心にトラウマを抱えている者や蟠りを抱えている者同士がぶつかり合いいがみ合いつつ絆を深めていくハートフル面を強調したヒューマンドラマとに大別されるかと思いますが、本作は圧倒的に後者のタイプです。

漂流教室』(1972-1974)
前者のサバイバルタイプの代表にしてジュブナイルコミックの金字塔。
少年誌の『週刊少年サンデー』連載ながら、思い込みで容易く他人を人身御供にしてしまう
子どもの残酷さや、子を思う母親の常軌を逸した愛、果ては極限状況での宗教支配や人肉食等、
タブーというタブーに挑戦した楳図かずお先生の一大傑作。
僕は高校生の頃にTVドラマ化を受けて刊行された文庫版で読みましたが、
夏休みの家族旅行に着いて行かず一人で実家に留守番状態だったため怖くなってしまい、
徹夜で一気読みして朝になってから眠りについたのでした…。(´;ω;`)

※『漂流教室』の原作本は安価な文庫本や大判サイズの愛憎版等人によって好みが異なりますので、着想元と謂われている映画『蠅の王』をお勧めしておきます(限定盤は楳図先生の描きおろしジャケット)。陸軍幼年学校の生徒たちが飛行機で遭難した先の孤島でのサバイバル映画ですが、こちらも子どもゆえのなかなかに残酷な権力闘争劇です。

飛ぶ教室』(1985)
後者のヒューマンドラマタイプだと古くはこちらか。
校庭に実験配備された核シェルターのおかげで核戦争を生き延びた小学生たちが、
核の冬に見舞われた過酷な世界を学校での共同生活によって生き抜こうとする作品。
『漂流教室』と比べると生徒たちの成長を軸にしたハートフルなイメージが強いですが、
週刊少年ジャンプ』の中では異色過ぎたのか、死の灰を浴びて残り少ない時間の中で
子ども達にサバイバルの術を書き残した女性教師が息を引き取る場面で
幕を閉じるくだりは今でも語り草です…。

※こちらは少々お高いですが大判サイズになったうえに新作エピソードも追加された完全版が数年前に刊行されています。

 あらためまして本作ですが、主人公の小学6年生の航祐と夏芽の蟠りと和解、そして大人への一歩がそのメインテーマとなっています。

夏芽は"両親の離婚"という傷を抱えて母親とともに航祐の住む団地に越してきた。
航祐の祖父の安次に可愛がられながらサッカークラブをはじめとしていつも一緒だった二人だが、
その安次の死を切っ掛けに徐々に疎遠になり、夏芽は再び自分の殻に閉じこもっていく…。

 安次が居なくなったことで己の居場所を無くした夏芽は、老朽化で取り壊しが決まった団地からマンションへ引っ越した後も安次とその思い出を忘れられず、その彼女の強い郷愁が団地の精霊と呼応して夏のある日に団地に忍び込んでいた夏芽と彼女のクライメイトの少年少女たちを漂流の彼方へ連れ去ってしまう。
 "一人の少女の強い執着心とそれに呼応した人ならざる者の力による異界への漂流"ということで、『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』に近いものを感じる物語です。

ただ、押井守監督の場合は特に同作ではどこか浮世離れした絵画的な印象的構図も
大きな魅力でしたが、本作ではそうした構図的妙味は薄かったかも。
団地のディテールは素晴らしく、団地愛そのものは溢れていたんだけども。

 異界の中でも時間の経過は有って特に食糧問題は厳然として存在しつつも、団地の部屋内の備蓄食料なりで何とか食いつなぎ、同じく漂流している団地のコミュニティー会館などはみんな航祐と夏芽の幼児期からの思い出の場所ばかり。
 そのサバイバル生活の中で何度もぶつかり合いながら次第に親交を深める7人ながらも、やはり団地での漂流生活に意義を見出せず元の生活に必死で戻ろうとしつつ、徐々に団地の精霊としての異形を顕わにするのっぽに対して忌避の念を隠せない航祐とクラスメイト4人に対し、夏芽は相容れないものを感じて漂流団地に残ろうとします。

衣食住が揃いつつも自分の居場所の無い現在というユートピアよりも
瓦解しつつも自分を受け容れてくれていた過去というディストピアのほうが
彼女には眩しかったのでしょう。
それは例えば、エリート家庭ゆえに常に学年トップを期待される重圧ゆえに
ダイナマイトで学校を爆破して逃避しようと漂流の原因を作った『漂流教室』の大友君のように。

 それがゆえにラストで航祐と4人が夏芽の煩悶を受け容れつつ夏芽とのっぽを命懸けで現世に連れ帰ろうとする姿は安直ながらもストレートに胸に響きます。
 特に航祐は、祖父の死の前の失言で夏芽を再び疎外感の虜にしてしまった日を詫びつつ、弟分ながら「もう団地の思い出に捉われていてはいけない」と姉貴分に諭す姿は、近しい人間と一緒に傷を乗り越えて大人になろうとする姿として眩しい限りです。
 惜しむらくは彼らのクライメイト四人のキャラクター像がブレてしまっていたということです。

・大柄で穏やかな性格の譲
・小柄で精神的にやや幼いながらも行動力豊かな太志
・お嬢様育ちで他責思考の目立つ令依菜
・トラブルメーカーの令依菜の影に隠れつつも芯の強い珠理

 譲、太志、珠理の三人は状況に戸惑いつつもメイン二人の衝突と和解を見守りますが、令依菜だけは常に癇癪を起こしつつ傍観者であることを拒絶します。結果として"メイン二人だけでなく残りのクラスメイトも成長しようとさせつつ結局片手落ち"というどっちつかずになってしまった感が強いのです。
 四人とも主人公二人の成長を見届ける役に徹する、ないしそれぞれが自己主張を重ねて捩れつつ最後に一定の方向性を見出す(その場合は団地描写愛を尺として削ぐ必要が有りますが)、どちらか割り切りが必要だったと思います。

令依菜に関しては航祐に好意を寄せるに至った経緯を回想シーンなりで描けば
きちんとした成長要員にもなり得たと思います。
"それぞれが自己主張を重ねて捩れつつ最後に云々"パターンの
典型例はこれでしょうか。コミックの方だとより容赦無い表現だった記憶が…。

 ともあれ、おそらく主要ターゲットであろうティーンエイジャーにはそうした小賢しい成長描写巧拙云々抜きに大人の階段の~ぼる~の何たるかを、上の世代には団地暮らしの郷愁でそれぞれに楽しめる作品なのではないかと思った次第です。


Ⅱ. ボクにとっての団地あれこれ

 僕は兵庫県の片田舎出身で実家は一軒家でしたが、保育園から中学校まで一緒だった同級生の男の子の家が市営団地でした。趣味こそそんなに近くなかったのですが、幼少からのクラスメイトということもあり、遊びに行った回数は数知れません。
 さすがにかつてのひばりが丘団地のような都心のマンモス団地ではないので、せいぜい2棟ぐらいだったと思いますが、同じ間取りの部屋が等間隔で、それも何階も続く風景は独特で、子どもながらに遊びに行く度にちょっとした異界に迷い込む快感のようなものを味わっていたのを思い出します。
 その一方で、この区切られた一角の空間の中に何十という家庭の何百人という人々の悲喜こもごもが集約されているのかと思うと空恐ろしくもあり、特に子ども同士であれば隣近所ですぐ遊べるというメリットもあったでしょうが、もし自分が住むとなるとどうだろうと複雑な思いもしたものです。

ウルトラQ』第17話「1/8計画」
後年になってから観ましたが、幼少期に団地を観て漠然と感じた眩暈にも似た感覚の
恐怖はまさにこの作品に集約されていたように思います。

 ちなみに数年前、例のウィルス禍の端緒期のリモートワーク時に通勤時間が無くなったため、始業時間前や後の空いた時間にグーグルマップで生活圏の店を観るのにハマった時期があったのですが、それが高じて実家の街並みをストリートビューで観ることがありました。
 そして興が乗って例の友人の団地の通りを観てみると・・・団地は現存していたものの、かつて彼と遊んだ団地併設の公園は草が伸びて荒れ放題になっていました。今も過疎化が進む田舎のこと、恐らくは子どもが居なくなってその役目を終えたのでしょう。

イメージ的にはこんな感じ。
遊具は別にしてもお年寄りの憩いの場としても公園は価値が有る筈ですが、
町議会の手入れの予算の優先順位から外れたのかもしれません。

 マンモス団地ともなると団地内に商店街はおろか学校が存在する地域もざらだったようなので、特に子どもならそこで普段の生活が完結していてそこから外に出るのは旅行とか限られた機会ぐらい…みたいな生活を想像するのもロマンのあるところですが、大人になった今あえて年代物の公営団地に飛び込む勇気があるでもなし。大人しく想像や作品で楽しむのが吉かもしれません。

※ちなみに団地全盛期には公営団地の当選者向けのこんな教育映画も有ったのだとか…。女性言葉がなんとも時代を感じさせますね。(⦿_⦿)

※こんな懐古本も刊行されてるわけで。おそらくは生活音とかのご近所トラブルのリスクも相当だったんたでしょうが、住んでた方にはノスタルジーの方が勝るということでしょうか。


Ⅲ. おわりに

 今回はNetflix独占配信映画『雨を告げる流通団地』について書きました。
 石田祐康監督の初のオリジナル長編ということでテーマを見つけ出すのに苦労されたということですが、結果として現在進行形でご自身が住まれている"団地"を選んだというのがなんとも身につまされるところで。
 同時に「その年ごろがいちばん楽しかったから」という理由で作品の主人公を小学生とする作品が多くなっているとのことですが、実際の幼少期は団地住まいではなかったということで、昔と今の想いをミックスした結果の本作ということでしょうか。

テントの描写はいささか中途半端だったかも?(*゚ー゚*)

 自分の居場所に悩む全時代的に共感性の高いジュブナイルストーリーに、今や希少価値の高い往年の郷愁を誘う"団地"というエッセンスを組み合わせたアンバランスな組み合わせはビジュアル的にもなかなか面白かったと思います。
 
 今回はこのへんにて。
 それでは・・・・・・どうぞよしなに。



※アンバランスといえば・・・ということで。
そういえば富樫先生の展覧会、今月末からか。

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