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羊の群れは丘を登る

あざす!南河選手。

こんにちは。瀬川出です。全日本ミドルロングでは平運営をしていました。

僕の全日本ミドルロングの振り返り記事を読みたいと南河選手にリクエストされて書くことにしました。とはいえ、今回のミドルロングの運営はほとんど関わっておらず、正直書くこと自体をかなり悩みました。だってやったの会場袋作成工場の工場長という役職くらいなんですよね……。それにきっと南河選手が望んでいる記事は、運営者の思いであったり願いであったりを含んだ、本音の記事なんだと思います。ただ僕は、本音の部分をまださらけ出せそうにないんです。僕の周りの人は優しくて、「あいつは抱え込むタイプだから」「本音全然喋らんじゃん」と薄々感じてくれて、時折手を差し伸べてくれているなあと感じるんですが、掴めずにいてごめんなさい。話そうとすると小さな水風船が割れてしまいそうで、まだ話せないんです。

ただ、嘘は書きたくないけど、「本音の本音」じゃなくても「本音」も嘘じゃないから、書こうと思いました。書こう、と、ちょっと熱すぎるような南河選手の記事を読んで思いました。ここ数年関わってきて感じたことを、書こうと思いました。熱い記事を本当にありがとう。ここから書くことは隠しておきたい心の声はあるにせよ間違いなく本音です。(文章が下手ですみません。何も構成がなってないので、わかりにくかったらすみませんが、推敲はあまりしないでそのままにします。)

果たしてふじてんミドルロングは成功した大会だったのか

いや、まず間違いなく成功した大会だったと思います(←じゃあ見出しで釣るな)。テレイン、コースともに申し分なく。運営者が言うのもなんですが、本当に素晴らしい大会でした。多くの選手が全日本大会を目指し、運営者はそれに良いテレイン良いコースで応える。運営側に失敗もありましたし、もちろん改善していかなければならないことも沢山ありますが、本当に素晴らしい大会だったと思います。

ただ、2回運営を経験させてもらっても、大会が素晴らしいものになっても、僕はなぜか晴れやかな気持ちにならないんです。昨年度のブランシュたかやまでは、コロナ禍でそもそも開催できるのか(今考えれば21年の夏は日本全体にピリピリした空気が流れていたように思います。)といった状況で、開催できた安堵感の方が大きかったからかなと思っていました。今年の運営は先述の通りそこまで関わっていないからかなと思いました。

でも、もっと全然関わっていなかった今年のインカレの運営後に、晴れやかな気持ちになってしまいました。はて。困りました。ちゃんとその訳を考えることにしました。

大きな循環の一員になってほしい

今年の日本代表壮行会になぜか司会として参加させて頂きました。式には山岸倫也さんが来賓として参加されており、日本代表選手に多くのメッセージを仰っていました。司会のことで頭がいっぱいで、半分以上聞いてなかったのですが(←オイ)印象に残っていたのが、「大きな循環の一員になってほしい」といったメッセージでした。

倫也さん自身、日本代表として大変活躍されました。今は社長として、JOAオフィシャルパートナーとして、日本のオリエンテーリングシーンに還元されていらっしゃいます。この還元に、もっと多くの人に参加して欲しいんだと、仰っていました。日本代表として良い経験を積んで、皆さんも社長になってお金を出しましょう笑、と確か冗談で仰っていたと思いますが、そのような「大きな循環の一員になってほしい」というメッセージが私の胸を打ちました。社長として還元するのかっこよすぎ。

さて、話が飛びますが皆さんにとって幸せとはなんでしょうか。どのような時に幸せを感じますか?色々あると思いますが、僕にとっては、自分の属する共同体に貢献できたなあと思うときかなと最近思います。照れずに言いかえれば、好きな人たちに喜んでもらうこと、でしょうか。僕はお笑いが大好きで、ちょっと気の利いた一言(←自分で言うな)を言ってちょっと笑ってもらうのが大好きです。大会を運営することって、僕にとって言ってしまえばまあそんな感じなんです。

インカレを運営することは、僕にとって「笑ってもらう人たち」がイメージしやすいのだと思います。例え選手の大半がもう知らない選手だったとしても。僕自身インカレに情熱を注いできたつもりです。選手権はおろか、併設でさえメダルを取れなかったNO Medal Finishだったけど。それでも努力や共有する時間のかけがえのなさがわかる。

でも、やってみてわかったけど全日本大会はそうじゃなかった。日本代表クラスであれば、「今」をほとんどオリエンテーリングに注いでいます。そしてその人たちに報いる大会を開くこと、様々な年代の、色々なバックボーンがある方に笑ってもらうことがどういうことなのか、なかなか難しかった。ただ、晴れやかな気持ちになれなかったのは、運営が大変だったからとか、そういうことでもないんです。

社会というファシュタ期間

JOAの理事をなぜか6年もやってしまい、そして自分自身が30歳が遠くなくなってきてわかったことがあります。「オリエンテーリングシーン世代交代苦手過ぎ問題」は「気持ちの問題」「やる気の問題」ではなくて社会の構造的な課題だということ。インカレに参加したことがある方は、「上の人たちからもらった恩を下の世代に返したい」という意識がある(あった)方は思います。だからこそインカレはここまで素晴らしい大会として(色々遺恨とかもあるのでしょうが)続いてきたのだと思います。

で、全日本大会云々とか日本代表とか関係なく、もっと広げてオリエンテーリングを楽しませてもらったから、共同体に還元したい、大きな還元の一員になりたい、と思う人は少なからずいるかと思います。ただ、社会人になり、ある一定の年齢になると生活がファシュタに変わる人がほとんどのようです。ライフステージが変わったり、家庭ができたり、日々、責任ある日々を奔走することになります。(心の中の井口が『正解は社会がファシュタ!生活がファシュタ!…ファシュタ!ファシュタになっちゃう!ファシュタ!』とうるさいです。)

インカレ運営者はギリギリ年齢的にファシュタ前の人が多く、共同体に還元できる人が多いけれど、全日本大会はそうはいかない。一線級で活躍された選手も、ファシュタ期間に突入して後人に譲る方が多いのではないでしょうか。そうなると、しばらく長い間は大きな循環の一員になるのが難しかったりします。

車輪は回り始めたか?

2019年に、盟友である(色々考えましたが、盟友と呼ばせてもらいます)早穂さんに「全日本大会を変えていきたい」と言われ、共にJOAの全日本委員会に入りました。2019年AsJYOCでの凄まじい働きぶりを見ていたので、きっとうまくいくと思っていました。そしてプロデューサー制度になってから、つないでくださった山川さん、西村さん、それだけではなく動いてくださった沢山の方のおかげでバトンがつながり、実際に22年は素晴らしい大会になったと思います。

さて、車輪は回り始めればしばらく回り続けますが、果たして全日本大会の車輪は回り始めたのでしょうか?大きな目で見ればゆっくり回っているようにも見えます。でも、インカレ運営で感じたような晴れやかな気持ちに、全日本大会ではならないのは、この循環がまだ回っているように感じたからなんだと気が付きました。

運営が大変だとか、自分のに能力が足りないと感じてしんどいだとか、まあそういう気持ちもないと言えば嘘になりますが、運営の中に楽しさは沢山ありますし、それはいいんです。ただ先人たちが回してこなかった(ように見える、しつこいようだが実際には先述の通り社会の構造の問題であって、先人たちが悪いわけではない、今よりもっと激しいファシュタの時代だった、今こうやって色々できているのは先人たちのおかげだしたまたま社会が許したからだ)、回っていない重たい車輪を回すために、それなりに「若い時間」をなげうっても車輪が回らなければやっぱり不安になるようです。僕にはまだ車輪が回っているかよくわからないんです。実際どうでしょうか?

ばらばら

先にTwitterでも呟きましたが、オリエンテーリングがマイナーな?スポーツなので、オリエンテーリングで僕らの心は繋がっていると勘違いしやすいのかなと感じています。オリエンテーリングという共通項で『気が合うとみせかけて重なりあっているだけ』なんじゃないかと。

「JOAが競技者から遠い」という話もよく聞くのですが、JOAが競技者に関心がないのと同時に、競技者もJOAに関心がないのかなと。でもそれはしょうがなくて、やっぱりファシュタ状態で気にかけられるのは身の回りだったり数ポ先までで、地図全体を見てる暇は無いし、ましてや地図を描くことになんて関心をむけられないのが普通なんだと思います。そんな中、都道府県協会や委員会や事務局や理事をなさっている方には感謝しかありません。でも確かにJOAとしてできていないことが沢山あるのも事実だと思います。

それでも、JOAはありとあらゆるコンテンツ生き残りサバイバルゲームを勝ち抜くための大きな武器だと思います。使い倒すくらいの、使いにくければこの武器を自分でカスタマイズするのだくらいの気持ちでいるのがいいと思います。

好きなことで得意なことで活躍すること、これは本当に素晴らしく、多くの人がそれを見つけてより良い世界を創り上げていきたいものです。ただ、それだけでは組織は回らないのも事実だと思います。「組織の力でしか見ることができない景色があり、得意でなくてもやらなければいけないことがある」ことを教えてくれたのは、学生時代に東大OLKのキャプテンを務めてくれた先輩たちと同期であり、その還元をするために理事をここまで続けてきました。心の闘莉王が「瀬川、ヘボ」と言っていてそれは全く否定できませんが……。

団結したいわけではないんです。ばらばら、のままだっていい組織になれると思うんです。そもそも150人を超える共同体は「幻想」で繋がるしかないのだとなんかの本で読みました。言葉を介し、文章を残し、説明をし、話をし、喋り、そして一緒になって走ることでようやく思いが伝わるのかなと思います。組織はそのための手段。ひとつになることが目的ではないと言いますか。

そしてだから今回この記事を書きのこすことにしました。

羊の群れは丘を登る

さて、盟友(今調べたけど固い約束を結んだ友という意味もあるらしい、まあ同志であり友でありという意味ですね)、早穂さんの活躍のおかげもあってか、JOAと競技者の距離は少しずつ縮まっていると思います。リモートワークやグループウェアアプリケーションの出現もオリエンテーリングにとっては追い風でしょう。

これは僕のエゴですが、全日本大会が素晴らしい大会だと感じてもらえたなら、大きな循環の一員になってほしいなと思います。もちろんJOAの一員になってもらえたなら、全日本委員会やスプリント委員会に入ってもらって大会を盛り上げてもらえたなら、実行委員会に入って活躍してくださるなら。こんなに嬉しいことはないです。

そうでなくても、思いを伝えて、オリエンテーリングはもっとおもしろいと多くの人が思ってもらえるように、それぞれが勇気をもって羊の先頭になってもらえたら嬉しい。色んな車輪を回してほしい。そう願っています。




……でね、誰か早穂さんの抱えているものを引っぺがして、「お前は運営せずに走れ!」って言ってあげてほしいのよ。訳あって大会前日土砂降りの雨の中走る早穂さんが、考えることを一瞬だけ放棄したように見えるときがあって。その森を駆けおりる姿に、魂の解放を見た気がして、忘れらんないです。

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