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イイガッコウの再定義
イイガッコウって、なんだろう。
これからぼくが配信という形でスポットライトを当てる学校は、どんな条件でイイガッコウと判断しているのかな。
たくさんの学校をまわる中で、
「我が子を通わせたい!そして、ぼくも働きたい!」
と思うときがある。
その共通点を探りながら、ぼくなりにイイガッコウを再定義してみるよ。
イイガッコウの条件を、あえて1つにしぼるなら?
『創造的余白』のあるガッコウ
うん。
ふりかぶって剛速球を投げるかと思いきや
意外とゆるゆる球でしょ。
でもさ、考えてみるとね。
どこでも学べてしまう、この時代に。
大人の病休も、子どものフトウコウも多い中で、
これ以外に、何を求めるの?
ぼくはいつもそう思う。
「笑顔で子どもを迎え、笑顔で子どもを送る」
これで十分じゃないかな。
子どもが、ここに来てくれる。
こんなにもありがたいことって、これ以上に大切なことって、あるの?
そして、自分で考えた言葉ながら、創造的余白って、すてきそうなんだけどわかりにくい言葉だなぁ(笑)と思ったので、解説していくね!
『創造的余白』とは?
辞書で調べると、こんな感じ
創造的「creation」生み出す/創造する
⇒価値の創造
余白「margin」ゆとり/余裕
⇒自己決定可能な枠
創造的(価値の創造)×余白(自己決定を委ねる)
つまり、
「価値の創造が、委ねられた時間」
といったイメージ。
暫定定義なので、後日言っていることが変わったらすんません。
図で示すなら、こんな感じ。これはよくできている。
↓↓↓↓↓
![](https://assets.st-note.com/img/1708117297810-eRoCPKnRpA.jpg?width=1200)
創造的余白と、ただの余白との違いは?
よく遊びの研究で言われる3つの間で「サンマ」なんて言葉がある。それをもとにした、余白から、創造的余白になる4つの間を伝えたい。
時間
⇒価値の創造が委ねられた、自己決定可能で豊かな時間の確保
空間
⇒学びたくなる/学び合いたくなる「空間」としての環境デザイン
仲間
⇒「Yes(承認),and~.」の承認文化があり、「自分らしさと、あなたらしさ」を尊重し合える関係構築
手間
⇒北極星「こういう教育を目指すぞ!」というVision対話の場づくり
余白に対する悪いイメージとの決別
余白と聞くと、
「なまける」「さぼる」
などのイメージで言われることもあるが、ぼくは違うと思う。
まずは大人が、ゆったりとした時間の中で、
・自分が学びたいことが、学びたいときに学べる。
・ワクワクすることに安心してチャレンジできる。
・対話から有機的な協働がうまれる。
・疲れたときにはゆったりと休める。
などを可能にする創造的余白は、実に豊かだ。
まさにやりがいにつながる。
第1回のnoteで書いた『月曜日に子どもも大人も行きたくなる自由なガッコウ』の重要要素こそが、創造的余白だ。
大人が味わうと、相似形として教室であらわれる
これらは、子どもたち向けにもつくりたい環境だとぼくは思った。
相似形なんだね。
参考「研修観の転換」に向けて ~NITSと教育委員会等による「新たな教職員研修」の協働開発~
このような大人にとっての創造的余白のある学校では、おもしろいくらい「子どもたちに相似形として豊かな環境がつくられる」ことがわかってきた。
自分が味わうからこそ、子どもにもそうしたくなる。
ぼくが
「我が子を通わせたい!ぼくも働きたい!」
と思う学校は、職員室が創造的余白であふれていて、教室も同じように創造的余白であふれている。つくろうとしている。
先生がにこにこしているからこそ、子どもたちもにこにこしている。先生がワクワクと新しいことにチャレンジをしているからこそ、子どもたちもそうしている。
今こそ、創造的余白を。全てのガッコウに。
読んでくださり、感謝でいっぱい♪
また来週。
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