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イイガッコウの再定義

イイガッコウって、なんだろう。

これからぼくが配信という形でスポットライトを当てる学校は、どんな条件でイイガッコウと判断しているのかな。

たくさんの学校をまわる中で、

「我が子を通わせたい!そして、ぼくも働きたい!」

と思うときがある。
その共通点を探りながら、ぼくなりにイイガッコウを再定義してみるよ。



イイガッコウの条件を、あえて1つにしぼるなら?

『創造的余白』のあるガッコウ



うん。

ふりかぶって剛速球を投げるかと思いきや
意外とゆるゆる球でしょ。

でもさ、考えてみるとね。
どこでも学べてしまう、この時代に。
大人の病休も、子どものフトウコウも多い中で、

これ以外に、何を求めるの?

ぼくはいつもそう思う。
「笑顔で子どもを迎え、笑顔で子どもを送る」
これで十分じゃないかな。
子どもが、ここに来てくれる。
こんなにもありがたいことって、これ以上に大切なことって、あるの?


そして、自分で考えた言葉ながら、創造的余白って、すてきそうなんだけどわかりにくい言葉だなぁ(笑)と思ったので、解説していくね!

『創造的余白』とは?

辞書で調べると、こんな感じ

創造的「creation」生み出す/創造する
⇒価値の創造
余白「margin」ゆとり/余裕
⇒自己決定可能な枠
創造的(価値の創造)×余白(自己決定を委ねる)

信憑性のないWikipediaより

つまり、
価値の創造が、委ねられた時間
といったイメージ。
暫定定義なので、後日言っていることが変わったらすんません。

図で示すなら、こんな感じ。これはよくできている。
↓↓↓↓↓

若林健治さん資料をもとに、大野が加筆修正


創造的余白と、ただの余白との違いは?

よく遊びの研究で言われる3つの間で「サンマ」なんて言葉がある。それをもとにした、余白から、創造的余白になる4つの間を伝えたい。

時間
⇒価値の創造が委ねられた、自己決定可能で豊かな時間の確保
空間
⇒学びたくなる/学び合いたくなる「空間」としての環境デザイン
仲間
⇒「Yes(承認),and~.」の承認文化があり、「自分らしさと、あなたらしさ」を尊重し合える関係構築
手間
⇒北極星「こういう教育を目指すぞ!」というVision対話の場づくり

※これらの詳細やつくり方に関しては、毎週配信の『スポットライト』でふれていく


余白に対する悪いイメージとの決別

余白と聞くと、
「なまける」「さぼる」
などのイメージで言われることもあるが、ぼくは違うと思う。

まずは大人が、ゆったりとした時間の中で、
・自分が学びたいことが、学びたいときに学べる。
・ワクワクすることに安心してチャレンジできる。
・対話から有機的な協働がうまれる。
・疲れたときにはゆったりと休める。

などを可能にする創造的余白は、実に豊かだ。
まさにやりがいにつながる。
第1回のnoteで書いた『月曜日に子どもも大人も行きたくなる自由なガッコウ』の重要要素こそが、創造的余白だ。


大人が味わうと、相似形として教室であらわれる

これらは、子どもたち向けにもつくりたい環境だとぼくは思った。
相似形なんだね。
参考「研修観の転換」に向けて ~NITSと教育委員会等による「新たな教職員研修」の協働開発~

このような大人にとっての創造的余白のある学校では、おもしろいくらい「子どもたちに相似形として豊かな環境がつくられる」ことがわかってきた。
自分が味わうからこそ、子どもにもそうしたくなる。
ぼくが

「我が子を通わせたい!ぼくも働きたい!」

と思う学校は、職員室が創造的余白であふれていて、教室も同じように創造的余白であふれている。つくろうとしている。
先生がにこにこしているからこそ、子どもたちもにこにこしている。先生がワクワクと新しいことにチャレンジをしているからこそ、子どもたちもそうしている。

今こそ、創造的余白を。全てのガッコウに。

読んでくださり、感謝でいっぱい♪
また来週。

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