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小さいことを気にできる重要性

南米に1年間居住したり、お寺で瞑想修行したり、今はWEBマーケティング会社で働いているひろみです。


ありがたいことにタイから日本に帰国した直後でも毎日のように予定がある。

タイにいた時はつながりがつながりを呼び、たくさんの人と出会うことができ、その関係が日本にいる今でも続いている。

関係と言っても同年代の人との関係ほとんどなく、大体が自分より二回りも三回りも年上の方ばかりだ。

僕は以前から特に年上の方からよくしていただくことが多く、なぜなんだろうと不思議に思っていたが、最近その理由が判明した。


小さいことを気にできる重要性

僕の両親は小さい頃、礼儀作法に特に厳しかった。

テーブル上のマナーはもちろんのこと、箸の持ち方や言葉遣い、話を聞く時の姿勢など、そう言ったことを徹底的に叩き込まれた。

両親は僕が生まれる前まではフランスに住んでいたので、フランス料理のテーブルマナーも教わった覚えがある。

幼い時は「なんでこんなことを覚えなくちゃならないんだ」と心底嫌々やっていたし
素直ではない僕に沢山のことを教える両親も大変だったとは思うが

最近はその教育の恩恵を受けていると強く感じる。

前述したように、僕は年上の方からの評価が良いことが多い。

もちろんそれは若いから無条件に可愛がってくれているということもあると思うが
それでも同年代と比べてそこそこ良い関係を築けているケースが多いと思う。

最近判明したのだが、そのような評価を受けることが多いのは
僕の礼儀作法がしっかりしているからとのことだった。

レストランに行った時に真っ先に自分が座らないで、目上の方が座るのを待つとか
お皿やお箸を目上の方から配るとか

本当に小さいことだけど、その積み重ねが他との評価の違いにつながる。

僕も幼い頃はこんなことに意味があるとは思っていなかったが

やっぱり礼儀作法がしっかりしていない人としている人とを比べたら、前者を選ぶし
食事の際にお皿を率先して配ってくれたら少し嬉しい。

意識してやっていたわけではないが、こうして自然にできているのは両親の教育の賜物だろう。

ふと人生を振り返ってみると「育ちがいいね」と言われることも多かった。

その時は、そう言われることに苦手意識があったが
今思うとそれは褒め言葉だし、そう言われる自分でよかった。

人と人との関係では、どんなことであっても最終的な判断基準になるのはきっとそういった人間力だ。

だからこそ、一見どんなに小さく見えることでも、どんなに無駄なことに見えても
他人への配慮や敬意は忘れずにいたい。

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