ピケティショック 25.12.2023
有意義な日記。
すさまじい夢を見た… ママが私を嫌いになる夢だった。すごく怖かった。でも自分が特別な存在になる夢ははじめて。父が大変そうだったことはよく覚えてる。
母に殺されそうになり、そのあと私が何か特別らしいというのが発覚した。父が私と母が会わなくて済むよう頑張り、そして母のメンタルケアのために付きっきりだったので少し寂しかった。ちらっと見かけた母はすごく冷たい目をしていて、私への気持ちがもう一切ないことがひと目でわかった。
そこからは曖昧なんだけど、目的地?に行くためにみんなで飛行機に乗った。そしたら途中で墜落しました(←!?)。私たち家族と数人の乗客しか残らなかった。他の乗客はみんなイスラムのひとたちでした。裸足で落っこちたので父に靴を取りに行ってもらい(←!?)みんなでトナカイ(←!?)に乗って出発。弟くんいなかったな…。
申し訳程度のクリスマス要素やめて。
私の日記、景色がきれいだったことと昔のことと幸せになりたいしか書かれてないな。と思って最近パーソナルな思考などをアーカイブしてみたのですが、自分の性格の悪さが露呈するだけだった。
完全に全部嘘の日記とか書いてみます?空想の日記とかも。この頃気付いたことですが、私は存外夢想家である。
アンネ・フランク的日記形式
よく日記の中で「みなさん」と呼びかけるけれど、あれは修辞的なもので意味はないと思っていました。しかし私は私に呼びかけていたのだと最近気付いたわけなんですね。
結局自分自身の考えてることを相手に理解してもらうためには言葉を尽くして伝えねばならず、そして労をかけたとして全てを伝え切ることはできない。つまり人間は本質的に孤独なのだと小学生の私は悟り、なれば話し相手として自分がもう1人ほしいと切に願っていたのです。私と同じ思考レベル・知識・バックグラウンドを持つ別個の自分がいてほしいと。(※これは連動した自分ではなく平行世界のような別の自己)
だから「みなさん」は「わたし」です。
まあこうして他人とのコミュニケーションをサボってきたために見事にその能力が欠如した社会不適合者となってしまったわけでございます。
人と話すより自分自身の素敵な脳みそと会話する方がはるかに楽しかった。授業中は校庭とか見ながらジャックロンドンの小説の中に出てくる狼やシートンの狼王ロボのことを考えていた。パール街の少年たちの絆は胸熱だったし、クオーレの世界なら私だってイタリアの心美しい青少年になれた。アンクルトムの生き様にだって没入してたんです。キリスト教を嫌いになれない理由。あの宗教は確かにアンクルトム(とそのまわり)に救いを与えたから。
話が逸れました。終わり。(finishとTheENDの両方)
昔のことを書くことが多いのは私の中でまだ整理がついていないから。人生、噛めば噛むほど味が出る。大学に入るまでの18年間、大学に入ってからの3年間、そして留学の約1年、まだまだ考えることが多すぎる。今までの人生と180度違う道を歩んでいるから都度修正が必要なのです。
もっと言うなら生まれてからずっと頭の整理ができていない。小学生のときから思考力が変わっていないので、要するに小学生~現在が最近です。
ということでこの日記を読んでいる物好きさん(いないと思うけど)はやたら昔を振り返ることを許容してください。
↑いらない解説;この“いないと思うけど”はシャワー浴びてるとき後ろが怖くて「お前がいることは分かっているんだからな」と言う謎の牽制と同じです。
学校に行く前にさつまいもを食べました。蒸したの。我が家、冬の間は蒸したさつまいもが常備されている。私や母、犬などが食べます。
今日もさつまいもを食べているとどこからともなく父のビーチサンダルをくわえた犬がやってきて、「待っています」という顔をしながら目の前に座った。ので、一緒に食べました。
ビーチサンダルを片付けて欲しかったけど、途中で飽きたらしく離してしまった。そこで私は横着してリビングから玄関にサンダルを投げたのですが、犬が「遊んでくれている!」と勘違いしたため投げた(片した)サンダルを嬉々として持って帰ってくるという不毛なループが3回ほど発生しました。最終的に手に持って片付けることで解決を見た。無駄。
廊下寒いんだもの。
最近勉強がすごく楽しい。私は経済学徒です。
そもそも経済学部を選んだ理由が2つあって、その1が経済だけ勉強方法が分からなかったから、その2が苦手科目って4年間で克服できるのかしらである。(前に書いたっけ)
文学、法学、社会学、リベラルアーツ、経営学、商学等々……はなんとなくどう勉強したらいいのか想像がついたんですよね。高校生当時の私にとって。でも経済学はまったく未知の領域で、大学から先の人生は興味あることしかやらない(できない)んだから、大学4年間という最後の勉強機関を経済学の勉強方法を学ぶ交通費としてベットするのは悪いことじゃないと思った。
2つ目は単純に調子に乗っていたからです。高3の1年間で共通テストの英語の点数の平均を50点くらいあげたんだけど、これだけ勉強したら苦手科目でさえ克服できるんだ〜と思い、数学ももしかしたら克服できるのかも!と思って……しまった……
で、毎日泣いていたわけです。合わなくて。人も勉強も。文学部行けば良かったナ〜😭と涙にくれていたのだが、最近やっと経済学部の楽しさが分かってきた。
もともとこの選択を後悔したことはないですけど。合わないことが分かればそれでいいとも思っていたので。
結局就職活動では興味のあるものばかりが求められる。本当に興味のない、むしろ苦手な分野を勉強できる最後の機会だったことをひしひしと感じる毎日です。経済学部にして良かった。
最近1つ思い出したのが、私が経済を心に留めるきっかけです。高校3年生のときの公民の授業。私はあの先生が大好きだったので、どんなに体調が悪くても必ず出席するようにしていました。友達は彼の授業を「生産性はないけど面白味はある」と評していて、つまり私が好きなタイプであった。そこで先生がピケティの『21世紀の資本』のお話をされたのだ。あ〜れめちゃくちゃ面白かった。今でも思い出せます。本当に楽しかった。
ここから資本主義と格差問題の話が好きになって(好きになって、という言い方は誤解を招きますね。興味を持って*)次はセルジュラトゥーシュを勉強したのだった。
卒論の題材これにしようかな……ちょっと難しすぎるかも。
あの先生はどうされたのだろう。母が法律関係の仕事を始めたきっかけでもある方なので、卒業時にお礼を言いに行こうとして。でもご病気だか何だかでいらっしゃらなかったのです。会いたい人とは会えるうちに会っておいた方がいいんだと学んだ。今でもかなしい。もっと話を聞いておくべきでした。
私にピケティとラトゥーシュが刺さったことについてもう少し詳しく書きます。これはひとえに「周辺理論」が関係している。「周辺」から搾取して我々は成長してるんだよ、我々の成長には「周辺」の犠牲があるんだよという理論。
かれこれ21年間片側はいわゆる繁華街、もう片側はベッドタウンという街で育ったんだけど、私は昔っからベッドタウン側のうら寂れた方がすごく好きだったんです。どこかくすんだ、時代に置いていかれたような匂いがする街。平成。繁華街も楽しいけど、心の中にある郷愁とはいつだってあっち側のことなのだ。
周辺理論を聞いたとき、あの街が私の脳裏をかけていったわけです。ベッドタウンって、いわば“周辺”でしょう。街として成長するはずだった、その街唯一無二の魅力を持つはずだった場所を“生息地”として搾取している。これがかなしくて、そしてこのかなしさこそが私があそこを好きになった理由だと気付いたんだな。高校3年生。
以上、経済学に対する最近の感情の動きでござんした。(※間違いは多分に含まれる)
憂さんの24日の日記す〜ごくいい。素敵。🫶🏻
今日もアルバイトに行ったョ〜。
帰る頃には9時半をすぎていて、お腹がすいて大変でした。
(私は今個別指導塾でアルバイトをしています)
小学生の生徒さんに「先生はいつまでサンタさん来ましたか❔🎅🏻」と聞かれたので「ウーン、中学生くらいでしょうか(以降は両親にプレゼントをもらっていたので)」と答えたら「……わたしのお姉ちゃんは高校生までだった……😲」と言われ、「ン……」となった。
「そういうのは……家庭の事情があるから……」などと言い、「ホラ、“うちは何歳まででお願いします”“何歳からは親が代行します”とか……ネ。色々あるんです」と重ね、「サンタさんはいるョ」と締めくくりました。まあ事実公式サンタさんはいますから。
小学生、怖〜!!
後輩がオックスフォードに留学に行くらしく、楽しんできてね~🥰になりました。いいですね。ちょうどおんなじ時期だ。
宵之森さ〜〜〜〜〜ん!!!!!ないはずのアカウントを復活させそうになったしあの教師を思い出して脳が破壊された。本当にやめてほしい。
今日も寝ます。早めに!
おしまい
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?