一人暮らしの総括

独身(ギリ新)成人男性です。高3の冬から一人暮らしを始めて2年半くらいが経ちました。えっ、もうそんなに経った……!?

ということで、意外と経っていて、変化とか分かったこととか色々溜まってきているはずなので書いていきます。総括と言っても脱出する予定はありませんが、21歳の誕生日も迫りつつあるのでここいらで1回まとめといて、課題や次の行動を洗い出す材料になればなと思いまして。

①一人暮らし序章-きっかけなど-

始めたきっかけは音楽専門学校への進学に伴って、です。でもなぜ年度始めの春からではなく?というアレですが、実家では姉と母と祖母と4人暮らしをしていてうち後半2人の仲が悪くて常に喧嘩していて一刻も早く出たかったのと、学校生活が始まる前に生活に慣れておかないとキャパオーバーで死ぬ、と思ったからです。実際慣れておかねば、に関しては正解でした。(もっとも、慣れたとてキャパオーバーだったのですが……。[後述します])

最初の方は水道ガスを契約し忘れていて風呂に入れず、ご飯もレンチンしか出来なかったり、電灯が無かったり、掛け布団は持ってきていたのにマットレスを買い忘れていてタオルかき集めて敷いて寝たりなど、だいぶ限界も限界でした。でも、おかげで「流石にこうならなきゃいいや……」というハードルを格段に下げることが出来ました。

契約したのは2諭吉ちょっとの破格の、それでいてバストイレ別、しかもなんと前住人が家電を置いてトンズラしたため家電付きの、超好条件の物件でした。近所に飯屋もスーパーもあり、駅からも遠い訳じゃない、一見最高のスタートを切ったかに見えましたが……。まあ安いなりに、理由があった訳です。めちゃくちゃ防音性が無かった……。おかげさまで、初日にドラムの練習パッドで練習してたらすぐに下階のお客様にクレームをいただきました。なお、たびたびのやらかしにより、このお客様には何度もお会いしております。誠に申し訳ございませんでした……。(現在は流石に生活に慣れて、しばらくお会いしておりません。)

生活費は、某育英会のお金が僕の口座に入るようになっていて、それで賄っていました。

生活の様子としては、初めの方はまだ家事や土地などに慣れてなくて部活(軽音)でやることもあったし、かなりメンタルがアレでしたが、当初逃げたかった家由来のストレスは減りました。母や姉から金貸してと連絡が来ることはたびたびありましたが……。また、交流もネットとかもあり0じゃなくてありがたいことに度々助けていただいたり、生活のアドバイスをもらったりしていて、一生ダラダラするみたいなことも苦じゃなかったので割とすぐ持ち直した記憶があります。そういえばこの時期に関東に(ありがたいことにお金出してもらって)関東に遊びに行ったりもしていました。今思えば「次の予定があるモラトリアム」って貴重だったな〜と思います。

②学校開始編

さて学校が始まった訳ですが、結果から言うと無理になって9月から不登校、12月に退学します。

理由は3つ。

1つ目は「一人暮らしをしながら押し寄せる課題を対処するキャパが無かった」です。いくら慣れたとはいえ、1回高校で鬱になって通信制に転学している限界人類だったので、ただでさえ忙しい専門の授業、課題を満足にやりながら家事をやって満足な生活をする余裕は僕にはなかったみたいでした。くっ、見誤った。

2つ目はお金。この時、某機構の給付型奨学金(7万n千円)が僕の生命線で、そこから家賃や諸々を捻出し、それ以外の収入はありませんでした。仕送りは、まあ、ないというか、やはり貸してといわれる方だったので…。バイトなんかはじめたら、ストレスでいよいよ戻れないダメージを受けそうだったので手を出していませんでした。しかし、支払いに怯えるのもそれはそれでストレスになっていたので、どっちが良かったんでしょうね。あと、これは余談ですが、6月まで奨学金の振り込み開始にラグがあり、クレカ(家賃他諸々)の支払いが間に合わず姉に泣きついた記憶があるので、それをアテにしてる方はご注意ください。もう一つ余談ですが、我が家に2年目のお金はなかったらしい。早く言ってよ!wwそしたら頑張って国公立行くとか選択肢あったじゃん!ww

3つ目は学校での孤立です。趣味合う人いないかな~などと呑気に構えていたら、コロナ禍中で表向きの新歓的サムシングは消え、周りはいつの間にか裏で仲良くなってグループが固定化し、元々の受け身的な性格も相まって孤立していました。いや、僕が壁を作りすぎていただけでホントはしてなかったのかも。それで売れ残って、めんどくさいヤツにめんどくさい話を持ち掛けられてめんどくさかったです(語彙)。今更ですが、ニチャニチャしとらんと、曲の趣味が違ってもとりあえず聴いてみていいね!って言うとかすれば多少マシだったんだろうな~などと思います。

③退学後編

そんなこんなで爆発しましたが、家に帰るという選択もしたくありませんでした。当時の僕は、わざわざ逃げ出した魔窟に戻るのも嫌だったし、バンドがやりたいのにもっと縁遠くなってしまうのも嫌でした。というかそもそもそれに関係なく、実家に僕を養う財力などなかった模様。どうしようかなと思ってた矢先、コロナ的な給付金や学校からのすでに払ってある残りの期間分の払い戻しがあり、数か月は持ちそうだったのでとりあえず一人暮らしを継続しました。

しかし、やはり収入にあるに越したことはない、と思い、退学翌月の1月から某大学の清掃のバイトに応募してみましたが、掃除のやり方の指導をうけて「そんな何回も言われても、分かってるけどそんなすぐにできんて…」となってしまい、たった3時間で疲弊し、翌日、学校と同じく「いきたくない…」が発動して(病院に相談後)辞めることに。以前やっていたコンビニバイトも上司とのやり取りでストレスが強く、これも併せて、以後労働アレルギーとなるのでした…。(数か月後に就労移行事業所に行くも、これも1日で爆発)

そんな感じで働くのはむりやね、となったので、貯金が尽きたら保護を受けるか~とあきらめてダラダラしていた気がします。この辺の記憶があんまりない。そういえば某オンラインコミュニティで定期的に会合のスタッフ的なことをする内容で長に雇われていた時期がこの辺だった気がします。その節はお世話になりました。

そして役所に相談に行き(時期は忘れた)、19歳の6月から国のお世話となる運びになりました。

④変化

この辺の時期から私生活(全部そうやんけ、というのはナシ)に変化が出てきました。

時は遡り、2月に好きなボカロPをまねる形で曲を作り(ネットにちゃんと出すのは初)、当人やよくその人のMVを担当してる方に認知されたり、4月にボカコレという投稿イベントに投稿したり、ボカロPっぽい感じになり始めました。

また、4月に、以前から存在は認知していたイベントバーの名古屋店でイベントをさせてもらい、以後定期的に通ったりイベントを入れたりして知り合いが増えたりしました。

実際に会う知り合いができると、ネットだとしにくい話もできたり(ネットはログが残るからね)、知り合いの知り合いと知り合いになったり、面白い話が舞い込んできたり、結構状況が好転したように思います。(アレなことももちろんありましたが割愛。まあその件も笑い話にできてるからヨシ!)また、7月くらいにまた就労支援(今度はB型)にチャレンジしてまた爆発しましたが、話せる相手が増えるとなんか嫌なことがあっても割とすぐ笑い話にできるから深刻なダメージになりにくいなと思いました。

いくら一人でも寂しくて人肌恋しくなったりはしないとはいえ、一人で改善できることには限りがあるし、気の合う人と居るのは楽しいので、人と会える場所に行くのに一旦ベットしたのはよかったんじゃないかなと思います。とは言ってもこれは行動の結果だけじゃなくて関わってくださった皆様のおかげでもあります。ありがとうございます。

⑤現在

現在は、障害年金の申請を遡及も含めて進めつつ、社会人のバンドサークルに入ったり、ギター弾いてオリジナルの楽曲を投稿してたり(投稿初期よりクオリティも上がったし伸びるようになった)、オリジナル曲をやるバンドの計画もしていたり、当初に比べればわりといい感じに生活できています。

あと、親とのなんやかんやは、距離を置くことであんまり感じなくなり、現在は会っても普通に接することができています。適切な距離感や状況ってあるやね。

年金が通ったら、まず壁薄アパートを脱出して人を呼んだり音楽をもっとしやすい環境に引っ越して、もうちょっと人付き合いに参加して、余裕があったら向いてる仕事探しにも手を出していけたらなと思っています。

終わりに

まとめというか、長々とした振り返りになってしまいました。雑にでもまとめるとするならば、「とりあえずクソ環境を脱出して、できることはやって、とりあえずなんとかなってよかった」です。今後はもう少し適度に人に頼るなど、積極的に人と関わっていけたらいいなと思います。(別記事参照)
https://note.com/o_34_mi/n/n7228508fd177

以上で終わります。ご拝読ありがとうございました。

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余剰があったらお恵みを… 懐が暖まれば書く気も湧くはず…