ニート時代の父親との思い出
私は元ニートだ。26歳で初めて就職するまで、父の金で暮らし、父の金で夢を追い、父の金で遊んでいた。これは、25歳の私が夢破れて実家に戻り、父親と二人暮らしをしていた時の話だ。
父は昔から仕事の鬼だった。年中無休で働いていて、休んでいるところを見たことがなかった。物心つく頃には、そんな父に母はすぐ愛想を尽かし、家を出ていってしまった。
小さい頃、父に休みの日にどこかに連れて行ってもらった記憶はほとんどない。
覚えているのは、「連れて行ってほしいところに連れて行ってもらえなかった」とか、「寂しいのに仕事で構ってもらえなかった」いう悲しい思い出ばかりだ。
話しかければ「忙しいから無理」と言われ、やっと口を開いたと思えば「ああしろこうしろ」とうるさく言われたりして、心底辛い子供時代だった。「だからダメなんだ」とか「お前のおかげで恥ずかしい思いをした」とか、そういう人格否定の類の言葉を投げかけられることが多く、毎日本当に辛かった。
だから、幼い頃から「きっと、お父さんは私のことなんてどうでもいいんだな。大切じゃないんだな」と思っていた。
そしていつしか、感謝すべき父親のことを恨むようになっていたんだと思う。今思うと、ATMのように考えていたかもしれない。愛してくれないなら、こんな辛い気持ちにさせたなら、せめて金をくれという気持ちだった。
そんな大嫌いな父と、二人暮らしをするのはまさに地獄だった。
当時私は医者にうつ病と診断されていたのだが、そんなことを父親が理解してくれるはずもなかった。精神科に通院していることがバレた時には「こんな風に育てた覚えはない」と父親は目を真っ赤にして怒り狂っていた。
「働かなくては」という気持ちはもちろんあった。だが、何をする気力も起きず、しばらくはただ寝ては起きるだけの生活を繰り返していた。
しかし、何も考えずにぼーっと毎日を過ごしていたわけではない。私は確かに父親のことを恨んでいたが、同時に迷惑をかけている罪悪感も感じていた。
だから、自分なりに親孝行というものをしてみようという気持ちもあって、やがて一緒にご飯を食べるようにしたり、家のことを手伝うようにしたりするようになった。
日常の何気ない瞬間を共有すると、新しい発見があった。
それは、父親が”世話の焼ける私”を本当は愛しているのではないか、と感じられるようになったことだ。
「長女が一番ちゃんとしてないんだから」と語る父のうれしそうな顔は、今でもはっきりと覚えている。それは、今まで見たことのない、父の意外な一面だった。
そんなある日、それは郵便局に行った帰り道の出来事だった。
私は「スーパーに寄って帰ろう」と言った。
父が反対したので「つまんないの」と私が言うと、「人生そんな面白いことなんかないよ」という言葉が返ってきた。
本当に人生はそんなに面白いことなんてないのだろうか?
父の人生はつまらなかったのだろうか?
お金のかかる私のせいでつまらなかったのだろうか?私が生まれたせいで父親はつまらない不幸な人生を歩むことになってしまったのだろうか?
私は苦しい気持ちになり、しばらく無言で俯いた。
そして、意を決して聞いた。
「お父さんは今幸せ?」
「幸せだね」
悩む素振りもなく、その答えは一瞬にして返ってきた。
涙が止まらなかった。
確かに、父親の言う通り人生は面白いことばかりじゃないのかもしれない。だけど、だからこそ人生は素晴らしいということを身をもって知ることが出来たと思う。
あの日、寄り道をしなくてよかった。
夢破れて、実家に帰ってきて本当によかった。
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