大根おろし

「女のにおいするかもしれないけど、気にしないで。もう別れたんだけど、ちょっと面倒くさいことになってて、荷物そのままなんだ。」

そう聞かされたのは午後7時、××町にある小さなアパートについてからだった。「あ、はい」とだけ返事をして、私はもう口を開かなかった。足を踏み入れてすぐに「水 土 燃えるゴミ!」と女の人の文字で書かれた紙が目についた。黄色く変色したその紙は、歴史の証明書のようにも見えた。ああ、さっき彼と寄ったスーパー、馴染みの店員さんがいたら「あれ、今日は知らない女の子だ」という目で、私をみていたのかもしれないな。証明書の貼られた壁の反対側で開けっ放しになっていたユニットバスにも、私はチラリと目をやる。カビだらけの浴室には、女物のシャンプーもなければ、歯ブラシも一本しかなかった。もしかして、本当にもう女の人とは別れているのかもしれない。そうでなければ同棲している部屋に私を招き入れるのはおかしな話だ。様々な思考を巡らせてみたけれど、そんな事をしても意味のない事くらい、私にもきちんとわかっていた。別れていても、別れていなくても、私は今日、きっと、何の約束もしないまま、この人に抱かれる。

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