汚染

やられたらやり返すは何も産まない。果たしてそうだろうか?
 
お天道様に恥じない生き方をしようと意識的に動いてきた結果、馬鹿をみた。枯れるほど泣いても涙は枯れない。泣く、ということは、即ち、それ相応の対価を求めていたのだろう。正直に生きていれば、真面目に生きていれば、とか言いながらも止まらない欲は、ぜんぜん可愛くなんてない。面倒くさい嫌われ者だ。
不安定な自分の立ち位置に伴う昇華できない気持ちや葛藤は、顔を出した瞬間に空中に放り出される。届かない感情は私が大事にするしかない。

だから、もう、やり返すしか道がないのだ。
 
私の心と身体が傷つこうが、悲しむ人はいない。しっかりちゃんと私が汚くなれば、それ相応の未来が待っている。故に今の結果にも納得ができる。
私が至らないせいで、こうなんだ、って、そういう理由を作らないと、正直で真面目な私は報われない。悲しくて悲しくて悲しくて、視界は滲んだままだし、マスカラだってできないし、足元はいつまでもいつまでもグニャグニャと曲がったままで、立ってなんかいられない。

上手にできるだろうか、いざという時に舌を噛み切って死ぬかもしれない。
本当にいいのだろうか、もう、よくわからない境地だ。
けれど、リストカットをするよりも、ODをするよりも、健全だろう。みんなが平然とやってのけることを、私ができないはずはない。

猫の餌代を恵んで下さると幸いです