もう本当に取り返しのつかないところまで来てしまったらしい。

昔は好奇心に因って行動が起こっていた!後先やら、趣味をステータスの一部とする気は一切なかった!昔は…

 昔は自分の感情や行動の原理を分析しなかった。言葉にしなかった。それをするようになった今では、かなりのものが失われてしまったと思う。
何が失われたか? 自分、というか人間は本来矛盾の塊であるはずなのに、僕は一部の感情や行動を分析し言葉にすることで、帰納法的に己の行動規範のようなものを造り上げた。そこでは僕の行動の全てはその規範と照らし合わされる事となった。そして、「自分らしくない」感情や行動は排除されるに至った。本当にそれが自分らしくないものか? 己が内面より発生した何かが、自分らしくないことがあろうか。その点で僕はもう自分ではなくて、「自分はこうあるべき」という規範が形而下に現れただけのものとなった…

 そしてこれもそうした僕の考えを言語化する行為の一つなのです、もう退路は本当に無くなってしまったらしい。


「考えること」の副作用はこれ程に僕の身体を蝕んでいた。


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