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 大学に行かずバイトも飛んでベッドで寝ていた。昨日も、今日も。風呂に入っていないから髪の毛がベタベタになりつつある。



 昨日は、保険会社からの電話で目が覚めた。寝る前に泣いてたからか、喉が渇いていてあまり声が出なかったが「はい…はい……」と絞り出した。電話は苦手なのに、寝起きだから心拍数が上がらなくてよかった。事故を起こした時、自分が情けないとか何も人並みにできないとか、そういったことで頭がいっぱいになって相手(被害者)に誠実に謝罪ができなかったことが尚更情けなくて、電話を切った後また泣いた。
その後3時間ほどベッドに滞在してから、14時ごろに母が作り置きしてくれているご飯を食べにリビングに降りた。ゆっくりご飯を食べていたら母が帰ってきて大学のことを尋ねてきたが、オンラインになったとか適当に嘘をついた。絶対嘘がバレているけど、深掘りされなかったのでまあいいかなと思う。その後また寝ていたら、バイト先からの電話で起きた。着信元を見て全てを察したが、応答ボタンを押すのに15秒はかかった。バイトは嫌いじゃないけど、今は全てが嫌だったからだ。


「今すぐ来てください」

「今少し用事があって、40分後になら行けるのですが…」


そもそもシフト入っているのに予定を入れるわけがない。「40分後!?それならもう今日は休みで!」と言われるのを狙って適当な嘘をついた。考えている時間があるから、明らかにバレていると思う。

「では、なるべく早く来てください」

作戦失敗。もう3年目になるこのバイト先と別れるのは少し寂しいけど、仕方ないと思った。



結局、後で「今日はもう来なくて大丈夫です。」という連絡が来たのだけれど。





電話




 電話といえば、小学生の頃から全く良い思い出がなかった。小学校で友達と喧嘩した時など、何かしらやらかした時には家に電話がかかってくる。母の相槌の温度で、内容がわかる。その後は母の謝る声を聞きながら、覚悟を決める。人に電話する時は顔が見えないし、そもそも友達とは電話しないから、いつも微妙な仲の目上の人間と電話することになるが、それがまた緊張を電話と結びつけた。小学生の時の僕はいつも電話をする時、リビングを走り回っていた。
中学2年生になって、母がクラスのPTAの代表の1人みたいなやつに選ばれてしまった。そのため連絡網では僕の家がまず先生から連絡をもらい次の人に流し、最後の人がまた僕の家に報告する。そして最後に僕の家がもう一度先生に電話をするという中枢的な立場になった。
 一度僕が連絡網の電話を取ったことがある。「次の日の授業で何か必要なものを連絡し忘れたから持ってきてください」のような内容だったと思う。連絡網のプリントを参照して、五十嵐くんの家に電話をかける。この時点でとてつもないストレスがかかっていたと思うけど、もう中学2年生だから耐えていた。五十嵐家の父親が電話に出た。緊張しながらも内容を話す。

「了解しました。次に回しておきます」

電話終了。達成感があった。


何故か、連絡網最後の人から回ってきましたよという電話はなかったが。




翌日

朝のHRで先生が連絡網の内容について話した。五十嵐と、その後ろにいた人たち(つまり、僕が連絡網を担当している列で、クラスの約1/3だ)が皆必要なものを持ってきていなかった。五十嵐が大きな声で

「〇〇(僕の名前)しっかりしろよ!!!」

と言った。こいつは運動部だった。



それ以来、俺は全ての連絡網を止め、先生に呼び出されるようになった。電話が、怖いからだ。




 今でも、友達とする楽しいやつは「通話」と呼び、嫌なものは「電話」と呼び分けている。最近はもう薄れているけど、あの時は本当に口にしたくなかったから。



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