くだらんこの世に花束を

人生において、大学の役割とはなんだ


大学とは自身が成長する場所。専門性を身につける場所。

じゃ、成長は何を持って成長と言えるのか。専門性ならどうやって身につけるのか。

感覚?実践?体験?


私にはわからない。

何をすれば、過去を超えられるのかが。

考えるのはそこだけだ。


そう

「私は材料集めをしています。その材料を自分の中に落とし込んで、何か形にできたらいいと思っています。そのために、最近は面白そうな活動は全て行くようにしています」

そもそも、これって、変だ。

何かをするために、何かを探している。

そうじゃないんじゃないか?

(もちろん、この姿勢は十分賞賛に当たるものである)

「何かをする」ということが大事なんじゃないか。

やりたいことがわからない大学生という文脈に立つんじゃない。

持たざるものとしてやるのではなく

見習いとして

何かの卵として

その何かが、社会的に認められている何かで、求められれいるもので、正義があるもの。

その文脈に立つことでしか得られないものもきっとあるはず。


ただがむしゃらにやる。この大前提はどちらもあるとして。

大学生としてではなく、何かの見習いとして。




今の大学は、その正義がある何かを「新しく作る、見つける」そんな側面もあるのだろう。それは今後の時代にとって大いに価値ある行為と言えるのは理解できる。むしろ、その創造ができないものは淘汰されていくだろう。

でも、そのためにはインプットが必要なんでしょう?


じゃあ、今の私に必要なことってなんだ


フラフラする。

探す。

それこそ、人生かけて、全世界を探す。

もしかしたら死ぬまで見つからないかもしれない。

探し続けて、やりたいことがわからないまま死んでいくやつなんて山ほどいるのだ。


こんなことをし続けるのかな


今日は雨。

流れる川はいつもより大きい。



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