その人はそれを登山と言った
こんばんわ。竹林です。
今日は連続投稿です。先ほどのノートと若干被りますが、ご容赦ください。読んでも時間の無駄である散文っぷりは変わりません。ですが今回は心を込めて書きますので、読んでみてください。
生きていると、様々な人や事と関わりを持ちます。仕事や学業、友達、恋人、先生、上司...。人は一人では生きていけないと言いますが、人のためだけに生きることはできません。
一人の時間だって大切なことです
責任から逃れて敢えて一人になることも
時には大切です
自分を大事にできるのは自分だけですからね
でも、あとで謝って、怒られなければなりませんが
それでもその時自分が逃れたいと思ったならば、それは真実なのです
でも
困難や辛いことをある程度自分でさばけないようでは
この先やっていけないですけどね
その予兆は感じますし、これからもっと強くなることでしょう
その責任や背負っているものが自分を成長させてくれるものになり得ます。
それはわかっています 痛いほどに
困難は乗り越えてこそ
嫌なことから逃げてしまえば、その先の景色をみることはできません
最近、逃げていませんか?
ある人が言いました。人生は登山だと
途中に辛いことが腐る程あります
社会は理不尽の海だとその人は言います
そんな中で
なんども逃げたい、もうここでいいやと思ってしまいます
諦めるか登り続けるか、
それを決めるのは 自分です
誰もその選択に文句は言いません
怒りもしません
勝手にしろと言います
だからこそ
自分の中の臆病が口出しします
もうここでやめちゃっても、誰も何も言わないよ
誰も見ていないんだし、コソッと辞めちゃえよ
ズルしちゃおうぜ
なんども、なんども言います
たとえ諦めたとしても、誰も何も言いませんから
それはそれとして、地球は回っていきます
でも
でもですよ
そこで下山してしまうと、
その山の頂をみることはできないのです
誰がって、自分がですよ
やらない後悔、というやつです
他の誰でもない、自分が一番わかっています
そんな局面を誰もが人生で経験しています
ある人は乗り越え
ある人は下山していきます
人それぞれに登る山があって、
みんなそれぞれ挑んでいるんです
困難だらけの山なんて、誰が登るか、と思いがちです
なぜそんな面倒なことをしなければいけないのか、と
でも それを乗り越えることが人生なのかもしれません
高い壁を乗り越えた者にしか見えない景色はありますからね
まずは自分に向き合いましょう
綺麗な部分も、汚い部分も、直視してみましょう
心の深層で自分と語らい
見いだすのです 答えを
そしてその答えは
きっと逃げではありません
未来への望みであるはずです
その望みを胸に
自分の山を登りましょう
「楽」と「楽しい」は違うのです
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