DNAの開放

※noteは公開日の任意編集はできないんだね。

先日の狩猟系か農耕系かの話の続編?的な話。


自分は狩猟系人間であるとして、その場合、そこここに移動したいという欲求は生存のための必然である。ただ現代社会では、狩猟生活もしてないし、現代社会的社会の中で生きているし、そこは非狩猟系社会的な要素ばかりで構成されている(要は仕事があったり、家庭があったり、面倒な書類作業があったりとか、当たり前のこと)。だから、思った通りに移動欲を満たすことはあんまりできない。例えば、平日は仕事があるから移動欲を満たすことはできない、週末も全部が全部移動欲を満たすことができるわけではないとか(家族サービスだとか、町内会の役員だとか、なんやかとか)。


そういったことで、まあ色々我慢しているけど、ここ最近、残りの人生(の長さ)を考えると、我慢ばかりしていると時間が足りないなと思うようになり(歳とか体の具合とかから)、移動欲を満たすことの優先順位をかなり上げる事にした。


それでも、やっぱりいろいろ後ろめたさを感じることがある(家族とか社会一般の一所懸命働いてる人たちにとか)。そんな時に心のなかで呟く言葉(あるいはほんとに口に出してる言葉)が「これは DNAの 開放だ!」。そうすると、不思議と「あ、太古の昔から脈々と続く生存のための正当な行動、欲求なのだから、まあ仕方がないよね」と自分で勝手に納得できてしまう。「むしろ、それを抑制するのは生存への反抗なわけで、生存できなかった場合、自分だけでなく周りにも迷惑かかるし、これは自分だけのためではなく周りのためにもなってるんだ!」という論法になる。


長々と書いたけど、はい、仰る通り単なる言い訳です。でも、ぜひ使ってみてください、「これは DNAの 開放だ!」。使い勝手いいですよ。え?


※蛇足ですがDNAは構成物質のことなので、意味合い的には遺伝子の方がいいんでしょうけど、かっこいいのでDNAの開放って言ってますよ。

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