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こんばんは

 例えば街を歩くとします。
すると様々な情報が視界に飛び込んできます。

 人の足音、見かけない県のナンバー、色、音、ただ歩いているだけで様々な情報で頭が一杯になります。
 昔はその情報が独立しているものと思っていました。脱毛をしよう。体を鍛えよう。英会話を習おう。お店でもこの服がかっこいい、派手なチラシや広告、看板。

けどひとつのことに、大きなゴールに収斂されているように感じる。

それは、明日死なないこと。
みんな明日死なないことをめざしてる。

明日、ひいてはこれから先進んでは死にたくない。簡単なのは、人生をともにする人がいる人。恋人、友人、家族。自分以外の命とともにする人は、明日死にたくない可能性が高いかな。
そして、それに該当する人は自覚症状がない人の可能性が高い。

どうして人は生きているのか、生きる意味とはと疑問を呈したところで、今年も夏暑いなとでも言うように、自分もそういう時期があったけどと語る。そういうこと若い頃にあった。そんな事考えたとて仕方がない。そんな事考える時間があって羨ましい、仕事で精一杯。

これらはすべて、自然と他者が現れてくれた人たちの言葉です。明日死にたくない人たちが日々問題なく日常を進めていくための盾として磨く言葉。

このマジョリティがゴールをつくる。自然なこと。

最近色々な幸せが認められ、人それぞれが喜びを堂々と表明し称え合う。そういうことによく触れることのできる時代。多様性の中で生まれた、おめでたいという言葉。自分と違うものを認めよう。生まれ持ったものでジャッジされるのはおかしい。おめでたさキラキラ。これらは結局マイノリティの中のマジョリティ。

生まれ持った自分らしさに対して堂々としていたいなんて思えない。きもいじぶん。
そんな自分を決して覗き込まれないように他者を拒みながらも、そのせいでいつまでも自分のことについて考え続けざるを得ないこの人生が虚しい。


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