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街がライフスタイルが云々ってひと、観てほしい。映画『COUNTRY DREAMER』によせて。

ひさしぶりに映画の話をちょこっと。いや初めてかw

この映画のすべての言葉が、すべての景色が、
これまでの私に、そしてこれからの私に、思いっきり刺さった。

喩えるなら「心のサウナ交互浴×10回分くらいのトランス」がきた(笑)

【作品情報】
ライフスタイルプロデューサーとして活躍し、近年はGACKT主演作「カーラヌカン」などで映画監督としても活動する浜野安宏が手がけた、日本・台湾合作のロードムービー。修験道者だった浜野の父に対するオマージュを込めて製作された作品で、異なる背景をもつ30歳前後の2人の女性が富士山の麓で出会い、ともに旅をしながら四国を巡礼し、さまざまな人々との出会いを通じて自分たちの生きる道を見いだしていく姿を描く。主演のひとりに、浜野監督の「カーラヌカン」にも出演した一双麻希。
*2020年製作/98分/G/日本・台湾合作(配給:浜野総合研究所)

【上映スケジュール】
●11/20~26:池袋シネマ・ロサ
●11/27, 28, 30, 12/1~3:渋谷HUMAXシネマ
*最新情報はご自身でご確認ください

元来ロードムービーは好きだ。『PARIS, TEXAS』、『INTO THE WILD』、『マイブルーベリーナイツ』… 日々の生活にどっぷり浸かってしまっている私たちを、置いてけぼりにしすぎない程度に、でも少しずつ、どこかへ連れ出してくれる。
気づかなかったことを教えてくれたり、忘れていたことを思い出させてくれたり。旅はいつだってそうだ。スクリーン越しの小旅行。

この映画は、私の原点であり目標地点であることを思い出させてくれた。
その歓びについて、本作を既に観た方と話している…というつもりで駄文を記す。(以下ネタバレ注意)

○ ○ ○

道を探していたら、自分の「足」が見つかった。

なにごともそうかもしれない。進むべき道を模索したり、進みゆく道の歪みを直そうとして、ひとは物理的・観念的な旅にでるが、
最終的に気づかされるのは、そこには自分の「意志」がある、ということだったりする。

「道の道とすべきは常の道にあらず。名の名とすべきは常の名にあらず。」から始まる『老子道徳経』の思想が本作には通奏低音として流れているが、
これもまた「道を”道”とするのは自分自身である」ということであり、

諸々の道徳や常識(本作における、故郷の畑で細々と農業をするくらいならば土地を売ってしまった方がよい、親の会社を継ぐべきである、など)といった人為の「道」に固執して苦しむくらいならば、

そのような規範意識など手放して、己の心に従うままに進め、というメッセージだろう。(本来の老子の無為自然観はもう少し続くが、ここでは省略する)

「ただ、歩きたいの。」
目的地などなくとも、たとえ遠くとも、歩く。それが本作のロードムービー的演出によって際立たされた『老子道徳経』の思想である。

○ ○ ○

山に入り、山となれ。

お遍路さんや修験道者はもちろん、カジュアルなサイクリストでさえも「山に分け入ることを通じて、次第に山と心体を一にしていく」という感覚をもつことができる。
本作もその過程が、役者さんと撮影環境に対する丁寧なアティチュードでもって豊かに描かれ、本当に彼女たちと「同行二人」して山に分け入っている感覚になることができる。

一方の私の場合は「街に入り、街となれ」を体感したことが、現在の活動の原点となっている。

単なる金欠でアーバン・ホームレスな生活をしていた数カ月のあいだ、私は様々な東京の街に「入って」いった。

街で眠り、街で食い、そして街となった。公園のベンチや山手線はベッドに、銭湯は風呂に、ファミレスは台所に、コンビニは冷蔵庫に、ついには路地は廊下となった。私は街と一体化した。
そのときの体験の詳細については、下記noteに書いている。

そこで感じた身体性と自意識の拡張が、私の実現したい世界観やライフスタイルの原点といえる。

この「山に入り、山となれ。」的な体験はえてして大自然と紐づきがちで、山道をサイクリングしたり、大空の下でヨガをしたり、海に潜って鮑を採ったりすることで感ぜられるものと相場が決まっている。

しかし私は現代のアーバニズムもまた自然化してきており、その多様性やダイナミズムは十分に「山」たりえるものと考えている。つまり都市に分け入る姿勢があれば、そこに暮らすことで「街となる」ことができる。
PNSE(継続的非記号体験, 悟りと呼ばれるもの)にも近いだろう。アーバニズムを血肉化するようなライフスタイルを、提案していきたいと思っている。

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なにをやっても「同じ」であり、肝心なのは「どうやるか」だ。

そんな経緯でエリアブランディングについて勉強・実践するようになり、学んだことがある。本作でも、旅を終えて資本主義の世界へと戻ることを決めたときに麗麗が発したひとことである。

残念ながら巷の「まちづくり」には、上辺だけで単なるポーズとなってしまっているものも散見される。そこに核(コア)がないままに、ストリートピアノを置いてみたり、マルシェをやってみたり、コワーキングスペースをつくってみても、なにも起こりやしない。
核となるものをエリア独特の「匂い」から嗅ぎあて、ブランドへと昇華し、これを様々な活動に落とし込めば、たとえどのような打ち手をとろうとも、それらはすべからくエリアブランディングとして成功する。

映画の途中でとある釣り人(フライフィッシングだろうか)が言うように、山の様々な色や音を広く深く感じることができれば、そのエリアのリージョナリティを嗅ぎ分けることができる。

それは風の民でも土の民でも水の民でも同じ。まるで地下水脈のように、誰がどのような道を選び歩もうとも、彼らの本質は深いところで繋がっているのだ。

○ ○ ○

結びにかえて

まずは素晴らしい作品の上映会ならびに前座のトークセッションにお招きくださった、ロサラーンドの伊部さんに心から感謝を申し上げます。
また、その後まっすぐ帰宅するにはもったいないくらいの心の「ととのい」に従うままにお邪魔した、THE CELLAR TOKYOさんにも。

映画の余韻に浸り過ぎている私と、池袋の街。

とはいえ、ちょっと飲み過ぎたかしら(笑)
いつもお世話になっております。

観てくれた方はぜひ語り合いましょう。比較的はっきりしてて分かりやすい映画だと思うので、インディーズフィルムみたいなの初めてって方でも楽しめるかと。
あと、道中で偶然であった家族から四万十川の幸をご馳走いただくシーンに、気仙沼でホームレスしていた時にお世話になった思い出が重なり、感極まりました。

ではでは!

P.S. 私が好きな映画は、タルコフスキー『鏡』とか、そのへんです。

追記:道、といえば、好きな言葉に[Life is like a field of newly fallen snow; where I choose to walk every step will show.]というものがあります。[人生とは、新雪ひろがる雪原のようなものだ。これからどのような道を歩んでゆくかは、これまでの歩みが指し示すだろう。]といったような意味です。先の生き様は過去の生き様に規定されるという、厳しい人生観でもあります。一歩一歩、後悔のないよう、生きてゆきたいですね。

書くための、酒と音楽にぜんぶ使います。