表題について。あるいは、焼け落ちる青春を眺める窓の話。
ねえ、いつまでロックンロールって言ってられると思う?
いつまでだったら、許されると思う?
やっぱり27歳かな?それとも17歳だったか?
…
いったい「家」のなにがダメだっていうんだよ。
家だって進化してきたじゃん。シェアハウスやソーシャルアパートメントから、段ボールやネカフェの月額会員サービスまで。
定住しないライフスタイルも流行ってるじゃん。アドレスホッパーとかモバイルハウスとか。
だいたいさ、定住しないってスタンスは「ひとでなし」だよな。誰とも深く関わりたくないから、ほっつき歩いてんだろ?愛とか友情ってのに対する覚悟が足りんよな、ふつう信頼できねぇよ、そんな奴。
それにくわえて、なに。床とか壁とか屋根とかに囲まれてるのが気に食わないって。
…もうヤんなるよ。
私だって、悪気はないのに。
…
だから、私にとってこれが、最後のロックンロールになるかもしれない。
まぁどうでもいいだろうけど、でも、ひとの青春が焼け落ちる瞬間ってオイシイよな。
だから、そこん窓から、ちょっくら覗いてみてください。
分かりやすいメタファーですよね。なんかすんません。
ようするに「ハコ」のなかで生成されるなにかと、ハコに閉じないための生活用品。無菌室と解放。私の心理的安全性と、スタンドバイミーな冒険。
そして、その窓の先で漂流する ≪紀行文≫ は、
きっと「ハコ」を抱えながらもハコからの解放を夢見てもがき、
でも結局は世界ぜんぶをハコにしようとしているかもしれない滑稽な奴の、
愉快痛快な悲喜劇だ。
…
私は、果たして他人や社会と繋がりたいのだろうか?
あなたはどう?
本当に分かりあいたい?それで心底、幸せか?
シェアリング・エコノミーの時代だとか言われてる。コネクテッドが得意でスマホ・ネイティヴな僕らは、いつだってなにもかもシェアしてる。
だから人間関係が希薄化してきただとか、いやオフラインで過ごす時空間や体験が重要だとか、リアルタイムな位置情報こそ価値だとか、
もう正直ウンザリするんよ。俺の中で村上春樹が「やれやれ」とつぶやく。
私は「ハコ」から解放されたくて、
心のなかに「ハコ」を抱えたまま、
トーキョーのそこらへんを漂流しながら、
床も壁も屋根もなくなった「ハコなき世界」の白昼夢をみる。
でもそれは、結局だれとも繋がらなくて済むような「ハコ」が世界観に拡張されただけで、
ようするに私は、もっと大きな「ハコ」に入ろうとしてるだけなんじゃないのか?
…
果たして、
ハコを抱え漂流する私は、
その ≪紀行文≫ は、
私をハコから「解放」するか?
わからない。
でもここに、とある一人のロックンロールが焼け落ちる。
青春の自爆テロが、ただの入れ子構造の絵空事として忘れ去られるか。せめて自爆者のカタルシスになるか。
なんかそういうのを、感じ取ってくれたら嬉しいのかな、
とりあえず、そう思ってます。
もういい寝る、おんなじような文章なんて書けない。くそ。
書くための、酒と音楽にぜんぶ使います。