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この世界から「床と壁と屋根をなくしたい」/ 夏井の令和VISION


年末年始だし、チョー個人的な抱負かかげていい?つーかこの時期に誰もSNSなんかしてないし読まんやろからこそ、書けるわ。しかも「朝起きれるようになる」とかちっちぇえ話じゃなくて、クソでっかくて意味不明なのに、私が勝手に熱狂してるビジョン。駄文note書いてないで卒論しろとかはなしで (笑)

ちなみに「誰にも言いたくない」と隠してきた過去の出来事についても、もう社会人になるこのタイミングで、公言してしまおうと思っている。


床と壁と屋根に囲まれた空間から
暮らしを解き放つ。


意味わかんないっていうコメントは言われ慣れてるのでOK. ましてや「そういうのキモイ、嫌い」とすらハッキリ言われてきたので、全然メンタルは大丈夫よ。うん、ダイジョーブ、ダイジョーブ。。。

なんでこう考えるようになったのか、
具体的にどういう意味なのか、
どのようにそれを実現するつもりなのか、

誰よりも2020年の夏井のために、書きます。


なぜ私は「床と壁と屋根をなくしたい」のか

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転機は去る2018年の夏、原体験は小学生のとき。

大学生の私は交換留学から帰ってきた。初海外でそれなりにプロジェクトを成功させたりガールフレンドができたりして、大いに青春を謳歌し、晴れ晴れと凱旋する、はずだった。

お金がなかった。

もともと私生活ではキャッシュフロー☆ガバガバな私は、私財を投げうってプロジェクトをまわし(その分はちゃんと回収しました)、その大仕事のあとは堰を切ったように遊び倒して、
イタリアだのスペインだのを満喫しているうちに、本当にお金がなくなってしまったのだ。

帰国時の所持金は「200ユーロ」(¥20,000くらい)。
円すらなく、クレジットカードも止まっていた。あちゃー!

しかも1年間の留学前に大学近くで借りていた下宿先はしっかり解約していて、帰る家もない。
大学寮に入ろうかなと思いもしたが、ちょっと家賃が値上がりしたこと、その決定過程に対する不満から持ち前のしょーもない反骨精神が「んなとこ行ってやるか!」と拒絶。
実家は三重県。あんな田舎、正直二度と帰りたくないと思っているし、これから就活だなんだと重要な時期に実家に落ち着いてられるような性分じゃなかった。でも今思えばカネは借りればよかったな。

結果、帰る家もなかった。

まあそんな状態で帰国したわけだが、能天気な私は「バイト探してお金貯めて、友達の家を転々とすればいっか~」くらいのテンションで、
帰国早々「ホームレス」となったのである。

夏は学生が帰省する。複数の友人の帰省のタイミングを把握して、それを上手く間借りホッピングして暮らしつないでいけばいい。これが「ヤシオリ作戦」(シンゴジラ)ならぬ「ヤドカリ作戦」である。

しかし問題はもうひとつあった。

私には友達が少なかった。

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インターンだなんだと学校内のゼミや授業の人間関係を軽視し、
サークルでも「それはROCKじゃねえ!」などと意味の分からないことを叫び、
同郷の友人は私の過去を知る存在として遠ざけ、
「コミュニティ」なんてカタカナには微塵も興味ないままに過ごしてきた私は、

当然の報いとして、独りぼっちだった。

前述の「ヤドカリ作戦」であるが、実際のところ声を掛けられる「友達」すらほとんどおらず、計画段階から破綻していたのである。

もちろん数人の友人にはお世話になり、大変感謝しています。
ただずっと同じ人の厄介になるのも気が引けて、彼らへの目立った価値提供もできてないし、
私は次第に家を間借りすることすら忌避するようになった。

さらに怠惰な私はバイトもあまり熱心に探さず、友人から紹介されたそのスジのキャバクラで夜勤することになる。これはこれで世の中の裏側が凝縮されていてなかなかハードな体験ではあったが、それについてはまたいつか。
ともかく生活習慣はどんどん狂い、私は本当にクズ人間化しつつあった。

しかし、ここで夏井のスーパーポジティブの本領発揮だ。
あろうことか私は「ホームレス生活が楽しいと感じるようになった」のだ。進化とは時に神秘的で驚異的なものだ。

その頃の寝床といえば、山手線がベスト。
夜勤明けの始発、新宿から池袋・上野方面の1両目に乗り込んで、3, 4周くらい回りながら寝た。だってクーラー効いてるし、終点がないから起こされない。
ちなみに宿泊型インターンばっかり受けてたのも、そういう理由 (笑)
あれってちょっと倍率高くて大変ね、なんか副次的に成長したわ。

風呂は銭湯かネカフェのシャワーを使った。特に銭湯はほとんど初めてで、こんなに粋で安くて気持ちの良い施設があることに心底感動した。

ご飯は様々な仕事・PC作業と兼ねて、決まってファミレスだった。新宿西口のジョナサンで永遠にループするBGMプレイリストの「新宝島」は、思い出すだけでナイトメアだ。

そうこうしていると、まるで山手線はベッド、銭湯は風呂、ファミレスは台所、コンビニは冷蔵庫、ついには路地は廊下というマインドを獲得していった。そのころは「#Tokyo Backpacker」なんて名乗ってた。


曲がりなりにも大学で社会学を専攻する私は、もちろんこの「ホームレス生活が楽しい」という自己意識について社会学的に考察してみた(してない)。

自己への省察を通じて浮かび上がってきたのが、家という「ハコ」からの解放という物理的な環境変化は、メタファーとして私の精神世界において大きな意味合いをもつということであった。

そんな精神世界が築かれたのは、小学5年生の時の「いじめ」の体験である。(以下トラウマな方は注意なので、読みたくなかったらスルーしてください)


「ハコ」に自分を閉じ込めた、小学5年の秋。

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私は運動はそこそこだが勉強はできたし、成績はいつもほぼどの項目も満点の5。生徒会長もこなし、活発で優秀な小学生であった。

しかし人は時として2つの人格をもつ。実は裏で陰湿ないじめを受けていた私は、生徒会や授業での活発な自分と、いじめに苦しむ自分が少しずつ乖離していくことを感じていた。

あんまり書くと悲しいしグロいのでやめておくが、「リストカットの発明」や「漢字絵の描画」、「4万字の小説執筆」などが今でも思い出せる記憶だ。振り返ってみれば「イタい」ことばかりだが、当時は真剣である。ちなみに、それ以外はあまり覚えていない。

とある日に本当に自殺しようとして、偶然仕事が早く終わり帰ってきた母親に制止され、事態が発覚した。

そのとき母がくれた救済の一手が、その後の私を守り、そして呪縛することになる。

それは「頭の中にね、ハコをつくりなさい」というアドバイスだった。

自分の大切にしている考え方や価値観を、そんな人たちに壊されてはダメ。
あなたはアタマのなかの「ハコ」で自分を守りなさい。
そこは誰にも邪魔されない、あなただけの世界なの。
だから外の世界でなにがあろうと、あなたは自分をちゃんと守ってあげて。

愛する息子が自殺未遂なんてしでかしたら、私ならパニックだろう。
しかし母はいたって冷静に、包丁を持ち項垂れる私と向き合い、話を聞いてくれた。

このとき、私はアタマの中に「ハコ」をつくったのだ。

それからというもの、小賢しい夏井少年はメキメキ勉強して「ハコ」の壁を高く厚く武装していき、
時々オナニー的に文章を書いたりしては「ハコ」の中身を誰にも見せることなく表現し、
親愛なるドストエフスキーやセザンヌ、ハイテガーやベルクソンといった藝術・哲学を「ハコ」の中にしまいこみ、
それでいて「ハコの外の世界」ではそれなりに明るく愉しく、へらへら暮らしてきた。

そして信じられないかもしれないが、この話をほとんど誰にも語ることなく、御年23歳まで独りで抱えてきたのである。

…ちょっと狂言が過ぎたが、そうでもしてられないと書いてられないから。ごめんね、あの頃の、私。結局こんなふざけた文体でしか、このことを書けないような、俗っぽいオトナになっちまったよ。本当はかのボードレール『惡の華』のような感じで書いて欲しかったよね、ごめんね。


かくして少年期に「ハコ」に素直な思いや感情を仕舞い込んだ私は、
成長するにつれ、もはや「ハコ」の中身がわからなくなりつつあった。

それは「今の私は本当の私じゃない!」というわけではなくて、
「この『ハコ』には本当の私がいるはずなんだけど、それって今ここで表に立ってる私となにか違うんだっけ?…なんか違うような気もする…」
という、随分ぼんやりとした意識であった。

そんな「ハコ」をこじ開けようと、例えばロックンロールにかぶれてみたり、たくさんの変わった(そして愛すべき)女性と付き合ってみたり、大酒飲んでブッ飛んでみたりしてきたのだと思う。

もちろん音楽は好きだし、当時は彼女たちのことが好きだったんだと思うし、お酒だって今でも好き。

でもきっと根本ではそんなものさほど興味なくて、
「こんなしょーもない『ハコ』なんかブチ壊してやりてえ」というヤンキー根性と、
昔大事に大事にしていた「ハコ」の中身がみてみたいという、タイムカプセル発掘みたいなオタク情緒が、混ざりあって運動エネルギーになっていたんだと思う。


そしてそれが意図せぬ「ホームレス生活」によって、精神世界における「ハコからの自己の解放」をメタフォリカルに体験することになったのだった。

ここまでくるともはや精神のバグとしか言いようがない。バイアグラで四六時中アレな感じみたいに、もうホームレス生活をしてると常に脳汁バンバンでるわけ。別にメシ食えなくても寝てなくても大丈夫、アドレナリン全開フルスロットル~!みたいな。もう完全にイカレてるわ。

それは小5の秋から10年以上「ハコ」に閉じこもっていた、かつての夏井少年によるエネルギーの大放出だった。

いまでも春夏秋には時々1週間くらい、たまらなくなってきて「ホームレス」に戻る。
東京のちっちゃな公園の噴水で服を洗い、木の枝にハンガーかけて干して、○○○○○で充電してたあの頃の「覚醒」を確認すると、
私はまた仕方なく「家」に帰る。



精神状態とライフスタイルの奇妙なリンクを社会実装したい、という仮説検証欲求

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ということで、ある程度まともで正常な精神の持ち主の方々には「意味不明、汚い、気持ちワル」と言われ、一部のド変態には「俺もやってみたくなったかも…」などと言われる「ホームレス」生活。

コイツをいっちょ、社会実装してやりてえ。

そんな暴挙を腹の底で企てているのが、最近です。

別に急にみんなをカネなしホームレスにしてやろうとか、「家なんて要らねえんだよ」と近隣住宅を壊してまわるとか、そういうことはしませんよ、ええ、もちろん!

ただ私は「もしかしたら『ハコ』から解放されたライフスタイルが人々を素直にさせるかも?」という仮説の虜になってしまっただけです。

もちろん、みんなが小5の秋にアタマのなかに「ハコ」をつくったことのある人ってわけじゃないことも、分かってる。
というかほとんどのひとが、原始時代から27,000年以上も続くこの「家」という伝統的な生活様式に、特になにも疑問を抱くことなく生活してきているんじゃないかと思う。

そこでここからはホームレスが描く、未来のホームレス★ライフをご紹介する。

≪ホームレス2.0のライフスタイルと都市空間の諸相≫

①建物も乗り物も、ぜんぶ ≪内側と外側がひっくり返ってる≫ 状態。
②たぶん ≪服≫ が自他の物理的な境界の最小にして最大の単位になる。
③みんな自意識がはっきりしていて、オープンマインドなシェアライフ。

①から、もう意味不明だと思う。わかってるってば。
いや「ハコ」すなわち「床と壁と屋根」をなくしたいとは言ったけど、生活に必要な機能までなくすとは言ってないでしょ?
ようするに、いま家の中にある全ての機能が外側に付いていて、なんなら個人で所有する必要もなくなってくるから「洗濯ブース」「お風呂ブース」「台所ブース」「トイレブース」に、果ては「歯磨きブース」とか「お昼寝ブース」なんてのが街に出てくるかも。

あと「内側と外側がひっくり返る」のは、なにも家だけに限ったことではない。
職場に学校、娯楽施設、電車も自動車も、ぜーんぶひっくり返しちゃえばいいと思う。
オフィスは丸見えなことが「我が社の透明性の象徴だ」などと言われ、
コワーキングスペースも今よりずっと””開放的””で、
教育現場は「青空学校」に巻き戻しだ。
映画も音楽も読書も、外の方が気持ちよくない?カフェテラスっていいよね~。
終いにはラブホもひっくり返っちゃって、外でおせっせしたっていいじゃん?なんてことに、なっているかもしれない。

もちろんプライバシーの問題やプライベート空間を欲するときは誰だってある。僕もコワーキングスペースは集中ブース派でカフェは壁向い派、他所様の視線や動きに気が散ってしまうタイプだ。そんなときのプライベート・カプセルとして ≪服≫ が機能するようになる。

FINAL HOMEという「服」をご存知だろうか?

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FINAL HOME:https://www.finalhome.com/

新種のエスキモーではない。これは津村先生というれっきとしたアーティストが提案する「服」だ。まさに「終の棲家」。

これがなんかこーしてあーしてすごいことなって、今の「家」が果たしているようなプライベート空間を「身にまとう」形で実現してくれる。雨風しのげて冷暖房完備だといいね。

流行りのモバイルハウスとかはまだまだ「床と壁と屋根」が残ってるから、あれは進化途上かな。っていうか「バンライフ」とか「アドレスホッパー」みたいに「ホームレス」にもイケてるネーミングが欲しいんだけど、誰か思いつかない?絶賛募集中ですー。

そんでもって、こういうライフスタイルになるとアタマのなかの「ハコ」から人類は解放され、まず素直になる
私みたいに目上のひとへの営業や投資家ミートアップで極端にヘラヘラして太鼓持ちして媚びへつらってしまったり、同世代に対しても場を盛り上げようとしてんのか知らんがピエロみたいに倒錯的に振舞ってかえって白けさせる、なんてことは起きない。

物理的な「ハコ」に守られていないからこそ、内面における自分の意見や価値観をきちんと言語化しこってり育てて、さらにそれを臆せず表現し発揮できるようになる。

だいたい物理的な自他の境界がここまでなくなってきたら、もはや人はオープンマインドになるしかない。生活の様々な場面をいちいち誰かさんとシェアする羽目になってるのに、依然として閉鎖的な思考して、ともすれば差別主義的だったとしたら、そりゃあむしろ見上げた根性よ。

もちろん住む世界がいきなりこうなったら、ちょっとついていかれへんよな。

でももし、生まれた時からこんな世界だったとしたら?

割と当たりまえに順応しちゃうんでないかしら。私も慣れるまでにちょっぴし時間かかったけど、たぶん初めてiPhone 4Sを手にしてから使いこなすまでと、そんなに変わらなかったよ。

きっとさ、この世界観に対するアンチもいて、地下とかにシェルターつくって朝から晩までパーティーしてたりするんだろなぁ。それもそれで、よくね?カウンターカルチャーが社会をひっくり返していくのが、人類の歴史の常っしょ。今は「床と壁と屋根のない世界」がカウンターだけど、これがマジョリティになったころには「床と壁と屋根がある世界」がカウンターとして盛り上がって、またn年後くらいには今みたいな状態に戻ってんのかもしれないしさ。つーかそのパーティーはちょっと行きたいわ(笑)

ってことで、そういう未来を思い描くのが私はなにより楽しいし、もうこれは性癖みたいなもんで、どーしてもやめられないんよね。



どうやって「床と壁と屋根のない世界」を実現するのか

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(写真の名も知らぬかわいい子よ、おっさんの駄文に勝手に登場させちゃってゴメンやで)

そんな「床と壁と屋根のない世界」をつくりたいとは言うものの、それには結構いろんな「やらなくちゃいけないこと」があって。指パッチンじゃあ世の中はなかなか変わらないわけだ。

だから僕は、3つの作戦を立てた。これは当事者たちには内緒だから、知り合いにいても、教えちゃダメだゾ。

≪ホームレス2.0PJTの中期戦略とKPIみたいなもん≫

①「まちづくり」を手掛ける事業:エリアマネジメントを行う。
②「家電」の事業に携わる。日本初世界一が狙えるくらいデカいところで。
③新しいライフスタイルとして「街に暮らす」をステルス民主化する。

①はエリアブランディング・マネジメントと呼ばれる事業形態だ。
特定の地域やストリート・ブロックといった「エリア」の地域性(リージョナリティ)という独自の価値を最大化させることで、これにより不動産価値の向上や観光誘致、移住定住促進による行政の税収UPなんかが期待されたりする。
間違っても特産品を押し出したり、ゆるキャラをつくることと一緒にしないでくれよ。その地域に根差した目に見えないカルチャーを嗅ぎ取り、ビジネスアプローチで実体化することは、コワーキングスペースだのカフェだのマルシェだのストリートピアノだので街に賑わいが戻るだろうと思ってる脳死のソトコトかぶれ達の発想でもない(ソトコトは悪くありません、というか好きです許してください)。

ともかく「床と壁と屋根のない世界」を実現するためには、建築士でもアーティストでもない私は「家」や「服」をひたすら設計するより、
そういう「ホームレス2.0」なライフスタイルをカルチャーとしてムーブメント化すべく、ビジネスを起こす方が手っ取り早いだろうと考えた。

これがまあ大変なんだが(なんなら「床と壁と屋根のない世界」とは全然関係ないことしてるし)、それでも随所に密かに自分勝手に、暗号鍵を仕込んでいるつもりである。まずは屋根から、NoRooF!(なんちゃって)
令和元年1月に法人登記予定です!

②なんて公言したらそれこそ内定取消になりかねないから、内緒にしてね!(笑)

ようするに私は「床と壁と屋根のない世界」において、必要なのは家でも車でもなく「家電」だと思った。
家電と家電の組み合わせで家が出来てきていて、家と家の組み合わせで街がつくれちゃってる時代。ならば私が目指す「家」なき世界においては、家電が街に剥き出しになっているはずで、
こりゃあ住宅産業はだいぶ打撃受けるからやりたがらないだろうし、自動車産業から変えてくわけにもいかなさそうだし、いきなりFINAL HOMEみたいな服を作るわけにもいかんしで、悩んだ末に「家電だ!」と気づいた。

こんな野望をもっているとは露知らずに私を受け容れてくれた御社よ。まずは誰よりも御社で成果を出し、そして傾きかかった船を力強くたてなおす。御社が日本初世界一を狙える状態でなくては、私の野望など夢のまた夢。
バリバリ働いたら、ちゃっかりこの世から「床と壁と屋根」をなくしちゃうから、待ってろよ…

③はぶっちゃけ3つ目思いつかなくて付け足したんだけど(笑)
例えば似たようなこと言ってる「同志」達が実はいて。まあ彼らは私に「同志」とされると虫唾が走るかもしれないけどさ(笑)


● 日本まちやど協会, hanare HAGISO

だってこれとか「まちを一つの宿と見立て宿泊施設と地域の日常をネットワークさせ、まちぐるみで宿泊客をもてなすことで地域価値を向上していく事業」らしいぜ。いまが街全体が「宿」になる時代なら、街全体が「家」になる時代も近いよな?今のうちに「一般社団法人 日本まちいえ協会」つくっとこっかな?w


● コトラボ合同会社 YOKOHAMA HOSTEL VILLAGE

岡部さんには気後れして直接お伝え出来なかったけれど、これ本当に好きで。

一見するとイケてるホステルじゃん?でもこれ、元は「ドヤ街」の街をホステルに見立てて格安で提供したら、外国人バックパッカーが来るようになって、学生やら若い人もくるようになって、それ目当ての面白いオトナ達も集まってくるようになった、っていう、すげえプロジェクトなんよね。

ここの原住民的なおっちゃん達は、それこそそんなに裕福ではないだろうけど、人情味あって気さくで、なにより街の道を自宅の廊下のようにふらついて銭湯にいったりしてるし、もはやバイブス感じるよね。

まだまだ夏井が気になりそうな先行事例はありそうだから「これとか好きそう」って取り組みがあったら教えてね。海外とかもっとヤバそう。


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ということで、年末に一人酔った勢いでなにやらかしてんだってレベルで滅茶苦茶なことを(しかも8000字近くも)書いてきたわけですが、
正直、私がこの令和である程度達成したいなと思ってることは、こんな感じです。
嫌われちゃうかもしれませんが、勇気出して書いたんで、どうか初笑いだと思って、温かく大目にみてやってください。

もう一度いいます。


床と壁と屋根に囲まれた空間から
暮らしを解き放つ。


これが夏井の令和VISION。
うわー、酔った時にnoteなんて書くもんじゃあねえな!

しばらく自重します。これからもそれぞれの事業は真面目にやってくんで、今回の件はテキトーに忘れてください!

良いお年を~!!◎
(年越ヤキ蕎麦をカッ喰らいながら、ハイボールのんでる。2019年12月31日、池袋にて。)

書くための、酒と音楽にぜんぶ使います。