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無駄なことなんかないって言うけどさ…、(冥王星の話)

冥王星について、ふと思ったことを。冥王星は自分でなかなか使いこなせる星でもないし、でもみんな持ってる星だしなー…と、ぼんやり考えていたのであります。(占星術的な意味で)

脳内垂れ流し気味のnoteです。
もしよろしければ、お付き合いください。

こんばんは。にゃんちーです。
夜更かしもいいところ、現在AM1:11です。
星読み屋さん時々タロット使い。
noteは徒然なるままに、筆ならぬ指を走らせよう。
(キーボード打ってるわけだし)
さて、今日は星読み屋さんとして書いていきます。

冥王星について(ざっくり説明)

冥王星は、太陽系の中でも一番遠くを回っている星。
今の天文学では冥王星は惑星ではなく、準惑星という扱いになっている。年齢によっては、小学校の理科で「水金地火木土天海冥」と習ったと思うのだけれど、冥王星、惑星じゃないのだ、今は。

惑星だったものが準惑星になる、しかも冥王星というところの話も面白い。
ここから占星術的な話になるのだけれど、冥王星の管轄に例えば、核・埋蔵金がある。
この惑星が準惑星に、ある意味で格下げとなったところが、見つけちゃいけないものを見つけちゃった感があるなと思う。ゾクゾク。

さて、冥王星の公転周期は248年。
1つの星座に約21年も滞在している。
ということは、冥王星を同じ星座に持つ人間は、まあまあ大勢いるわけよ。

そもそも天王星から向こうの星、つまり天王星・海王星・冥王星は「トランスサタニアン」と呼ばれ、意識の向こう側の星とさえ言われている。

当然、意識の向こう側を意識的に使いこなすというのは、至難の業なのである。無意識を意識できたら、それはもう無意識じゃないからね。

ところがどっこい、冥王星に限った話ではないが、みんな自分のホロスコープに、これらの星を持っている。

使いこなすのが難しいのに、なんで?
どこで使うん?
などと、ずぅーーーと思っていました。

冥王星に絞って書いていくけれど、まあまあな人数が同じ場所にその星を持っているのだから、尚更だ。
だって同じ場所に星を持っているのだから、同じような条件で発動しそうなもんじゃん?

冥王星はall or nothingの星で、0か100と振り切った星。
みんな一斉に発動したら、結構な破壊力でしょ。(威力やばそう…)

で、だ。

私は自分が鑑定する時、冥王星のことをよく「火事場の馬鹿力」と説明する。と同時に、火事場なんて、そうそうあるもんじゃないよと付け加えることもある。

そうなんだよね。
そんなしょっちゅう、人生の中で火事は起きない。
ボヤはあるかもしれないけれど。

また、冥王星をこんな風に説明することもある。
死の淵からでも蘇ることができる力だ、と。

冥王星とは(私なりの答え)

ぐるぐる考えているうちに、1つの答えが自分なりに出た。

・冥王星は普段はスイッチオフ。
 (なかなか意識できないし)
・人生の火事場になると冥王星フルパワーで発動する。
・まるで死の淵に立たされるような出来事があったとしても、蘇る!
 (起死回生と言っても良い)

自分のホロスコープが分かる人は、ぜひホロスコープを見てみてほしい。

絶体絶命、もう無理、もう駄目だ!もう嫌だ。絶望…みたいに感じた出来事って、きっと、冥王星があるエリア(占星術用語でハウス)なのではないだろうか。

そんな風に思った出来事を乗り越えて、今、生きているのだとしたら、その時きっと冥王星フルパワーだったのではないだろうか。

いやはや、人生の火事場を体験した人ばかりじゃないとも思う。
それにみんながみんな、生きている間に人生の火事場を体験する訳でもないと思う。そこは鑑定してみないと分からないし、今動いている冥王星との関係もあるし、今回は細かく触れない。
それにこんな体験、ない方が良いのかもしれない。

ただ私の中での大発見は、最後の1つ。

・まるで死の淵に立たされるような出来事があったとしても、蘇る!

ここにある。

何かの出来事をきっかけに、脳内で死亡フラグが立ったとしても、そこで終わったりなどしない。つまり寿命以外で、人生を終わらせないスイッチ=冥王星が付いていると分かったことは、私にはとても大きい。

大体のことはなんとかなるとか、ほにゃららなことがあっても死なないとか、人生に無駄なことは無いって言うけれど、本当だったんだなぁ…と思ったのである。

冥王星の仕事は、どんなことも無駄にさせない事なのかもしれない、と。

冥王星は破壊と再構築の星とも呼ばれ、気に入らなければ全部ぶっ壊して一から全てを作り直していく。
パワフルだなって思っていたのだけれど、それだけじゃないのだ。
それはそれは物凄く諦めの悪い星なのだ!

だから散々な思いをしてもなお、今生きているのだとしたら、それは「なんとかなった」のではない。
きっと自分で「なんとかした」のだと思う。

もっと言えば「無駄にしなかった自分がいる」ということだろうと思う。

人生の火事場経験者たちよ。
もっと、自分、褒めてあげてー!

終わりに:無駄なことはない、とは。

冥王星について考えていて、思ったことがある。

人生に無駄なことはない、というあの台詞。
本当は、人に向かって言える台詞ではないのではないだろうか。

きっと人生の火事場のような出来事や経験を、無駄にしちゃう人もいる。
無駄にした結果、また同じような火事場を体験するのかもしれない。世間的にはそれを失敗と言うのかもしれないけれど。

無駄なことなんかないのではなく、無駄にしなかっただけ。
つまりその人自身が、無駄にしないように頑張って、己の糧にしてきたということなんじゃなかろうか。

だから火事場を乗り越えてきた本人が「あの時は無駄じゃなかった」と言うことはあっても、外野が渦中の人間に向かって「無駄なことなんかないよ」と言うのは、何か違うような気がしたのだ。

無駄にしなかったのは、その人自身だから。
無駄なものを無駄なままにする人は、きっと居るから。

きっと、全ての出来事に意味があるわけじゃない。
出来事に意味を見出していくのは、その人自身だから。

人生における火事場に意味があるかなんて、火事が無駄じゃなかったかどうかなんて、間違っても、火事だー!って騒いでいるだけの野次馬=他人が判断することではないだろう。

そんなことを思った次第です。
もはや、この内容を書きたいがために、このnoteを書いた感じさえありんす。まる。

なんだか尻切れトンボ。いつもだけど。
したらばまたにゃーん。






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