戦争と数学(世界史の中の岐阜⑤)
8月は戦争について語られ、「反省」させられることが多い。
大東亜戦争に関してはミッドウェー海戦等で日本側の暗号が解読されていた問題があり、筆者も多少関心を持っている一つのテーマではある。
この暗号解読されていた点は、GHQ戦史部長のプランゲも著書(Miracle at Midway)でも実は巧妙に言及を避けている。
書いてあるのは基本的には日本側の記述に沿っているだけだ。
ミッドウェー海戦時に日本の「海軍暗号書D」(米軍側コードJN-21)系統は戦略常務用一般暗号書でよく用いられていたが、乱数表を用いて二重に暗号化してた。いまだにこの点は謎が多いが、単に暗号解読されていただけでなく、情報の背景を含めた米軍の情報収集力は凄まじいものがある。
一方で、日本側による米軍暗号の解読についての努力も見逃せない。1936年(昭和11年)から1942年(昭和17年)ごろまで米国務省の外交暗号、武官用暗号は実は解読はできていたことは知られてない。ところが、開戦後すぐに米軍は暗号を変え、その後なかなか解読は進まなくなり、1943年(昭和18年)になって数学者をの協力を仰ぐ。
それまで暗号は軍の機密事項なので民間人を入れるのはタブーだった。協力を要請されたのは東大数学科名誉教授・高木貞治博士(世界的権威の数学者)で、学者らメンバーを集めて暗号解読に取り組む。
1944年(昭和19年)には米軍の暗号を解き始め、一部は解読できたが、実戦への情報提供には至らなかった。
昭和19年4月2日には陸軍暗号学理研究会が発会。高木貞治博士も副会長として参画している。こんなことを述べてもいる。
他方、日本の外務省が使用していた「暗号機B型」による外交暗号に対し、米軍は「PURPLE」とコードネームを付けてマークしていた。
海軍は、暗号機B型の強度評価を高木貞治博士に依頼した。高木博士は「兆以上の変化があることは間違いないが、それ以上の正確な計算はちょっと出ないはず」と評価していた。軍は暗号解読を知らない数学者の評価を頼りに、暗号機を制式採用したわけだが、米軍には結果としては解読されていた。
しかし、軍が「東大数学」の権威にすがった代償は、結果として余りにも大きかった。
この高木貞治博士は、岐阜県本巣市出身。数学の業績を讃え、本巣市に記念館もあり、輝ける郷土の偉人の一人だ。(館内は撮影禁止になっている)
しかし、筆者が訪れた際は、戦時の隠れた活躍や貢献の展示や言及は一切無かった。隠したかったのか事績なのか、8月に語られてもよさそうな気もする。
トップ画像は 吉田一彦 友清理士 『暗号事典』創元社 2006年による
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