反出生主義はなぜ「思想の押し付け」呼ばわりされるのか
1. 序論
反出生主義は、親による子に対する産まれてくることの押し付けに反対する思想です。
だから、「反出生主義は思想の一つ。思想の一つである反出生主義を押し付けるな」と言われても、その前半部分にしか納得できません。先に何かを押し付けたのは親たちでしょ?と私は思うわけです。
では、なぜ「反出生主義者は思想の押し付けをしている」といったレッテルを貼られがちなのかについて考えていきたいと思います。
しかし、反出生主義の定義は未だ多くの人の間で共有されているわけではありません。とはいえ、読みづらくなることを防ぐために、本稿では仮に、厳密な意味での反出生主義およびそれに近い主張をする人を「反出生主義者」と呼び、それらの主張に反対する主張をする人を「反・反出生主義者」と呼ぶことにします。
まず大前提として、反出生主義の主張とそれに対する反論は、人と人とのコミュニケーションです。そのため、「思想の押し付け」呼ばわりの原因が反出生主義者と反・反出生主義者のどちらにあるかはケースバイケースです。もちろん、両者ともに原因がある場合も考えられ、どちらがどのくらい悪いかもケースバイケースでしょう。さらに、論争的なコミュニケーションはしばしば1対1ではなく、人数の差による有利不利が存在します。有利な立場を利用したハラスメントや、不利な立場を逆転させるための極論に原因があるかもしれません。
ただし、これらの大前提を示しただけでは、具体性を欠いた主張にしかなりません。そのため、次章以降では、より具体的に「思想の押し付け」呼ばわりの原因を検討していきたいと思います。
2. 反出生主義者側の言葉遣い
反出生主義者は、親による子に対する産まれてくることの押し付けに対して怒っているため、たびたび口調や言葉遣いが激しくなることがあります。とはいえ、反出生主義者は社会全体のなかではまだまだ相対的に少数であり、その主張は充分な力を持っているとは言えません。そのため、反出生主義者の口調や言葉遣いばかりを責めるのは、トーン・ポリシングになりえます。
3. 反・反出生主義者側の原因
ここからは、反・反出生主義者側の原因について考えていきます。
これには、大きく分けて3つの原因があると考えられます。もちろん、これらが複合していることもあります。
ストレス
冷笑主義
認知の歪み
3.1. ストレス
反・反出生主義者はしばしば(そうでない人と同様に)大きなストレスを抱えながら生きています。例えば妊娠や育児の負担、社会的孤立、長時間労働などに伴うストレスです。私たちはしばしば「子持ち特権」という言葉を使いますが、子持ちたち自身が望んでいる特権と実際の社会的制度・慣習が子持ちたちに認める特権との間にはかなり大きなズレがあることに留意が必要です。
子無しの反・反出生主義者(インセル系アンフェと重複する部分が大きいです)の場合は、子無しであるために周囲の人間(主にシスヘテロ)からの社会的承認が得られず、また自己承認もできないストレスがあるでしょう。
これらのストレスは、政策や社会の価値観次第で緩和可能なものが多いです。私は、反・反出生主義者の人権のためにも私たち反出生主義者の尊厳のためにも、福祉政策の拡充を望んでいます。
3.2. 冷笑主義
ここでいう冷笑主義には2つの傾向があり、どちらかが強い反・反出生主義者もいればどちらも強い反・反出生主義者もいるでしょう。
その2つの傾向とは、反理想主義的な傾向と「どっちもどっち」主義的な傾向です。
まず、反理想主義的な傾向について説明していきます。反出生主義は理想主義的な思想であり、未だに実現は非常に困難です。このことは私たち反出生主義者も認めざるをえません。反理想主義的な傾向のある人は、反出生主義に限らず実現困難な理想の実現を目指す思想に反発します。反理想主義的な傾向のある人はしばしば、差別や戦争や貧困や搾取や感染症やハラスメントの撲滅に対しても反発します。いずれも撲滅の実現にはまだまだ遠いからです。
次に、「どっちもどっち」主義的な傾向について説明します。「どっちもどっち」主義的な傾向のある反・反出生主義者はしばしば、自身が反・反出生主義者であることに無自覚です。彼らは生殖が有する子に対する暴力性・権力性に対して無自覚です。彼らは一方で反出生主義者を攻撃しつつも、他方では他の反・反出生主義者を攻撃します。彼らをさらに分類するなら、トーン・ポリシングを多用する右派的なグループと、生殖に関する「個人の自由」を盾に生殖の擁護する左派的なグループに分けられるでしょう。
3.3. 認知の歪み
反・反出生主義者にしばしばみられるのが、「自分(たち)が苛烈な攻撃を受けている」という認知の歪み、そして「苛烈な攻撃を受けていることから自分(たち)の行動は正しいと判断できる」という(多くの場合陰謀論に陥るような)認知の歪みです。
確かに、私たちの「生殖それ自体が子に対する一方的な権力・暴力の行使である。生物は生殖をすべきでない」という主張を受け入れることは、既に生殖をした一人以上の子を作った人からしたら、過去の自身の行動や判断を否定することになるため、難しいでしょう。ですが、性行為から出産に至るまでの生殖のプロセスが、子の意思が発生する以前に始まり、子の意思を確認できないままに完了される一方的なものである、ということは現実として受け入れなくてはなりません。子を一人以上作ってから反出生主義の正しさに気づいて、これ以上は子を作らないようにする、という反出生主義者も少数ながら現実にいます(なお、難しいとは思いますが、私たち子無しの反出生主義者もまた、彼ら子持ちの反出生主義者を包摂しなくてはならないと考えます)。
4. まとめ
本稿では、反出生主義者の一人である私なりに、「反出生主義者は思想の押し付けをしている」というレッテル張りがなされる原因について検討しました。具体的には、反出生主義的な考えを持つ者の言葉遣いの問題と、反・反出生主義者的な考えを持つ者のストレス、冷笑主義、認知の歪みについて考えました。本稿が、「真の反出生主義者は思想を押し付けない」などという反出生主義者の間に不必要な分断をもたらして出生主義を温存させる言説への有効な反論となれば幸いです。