雑記

便所の落書きだ。

・芸術と創作と金の関係

結構前から思っていたのだが、高い芸術性を持つものが売れるってのはなかなかないと思う。別になろう系のことを言っているのではない。決してなろうを批判するわけではない──が、現代のフォーマットとしてすっかり定着してしまった(この表現には解釈の余地がある)なろう系。

しかしどうしてこんな流行ったのか。まあ流行りと言うものはそう言うものであり、北斗の拳が流行っていた時期にこぞってその絵柄で漫画を描く人がたくさん現れたのと同じ理由なのだろう。エンタメとは俗だ。俗で分かりやすく、つまらないものが流行る(こういった発言は売れない芸術家気取りがよく口にしそうだ)。

昔、芥川の小説にハマっていた時期があった。羅生門とか鼻とか、タイトル忘れたけど戯曲を書くじいさんの話とかだ。あれらは当時から結構評価されてたらしい。あんなクソつまらない超すごい芸術が評価されていたのはちょっと信じ難いことだと思う。

雑誌に投稿するのが主流だったようだ。今でもその名残はなくはないが、私のような三流小説家の感覚では今時ネット投稿が当たり前というか、そうでなければ出版社から出た文庫本で文章を漁るのが当たり前というか、それ以外の方法は知らない。やはりわざわざ雑誌で文学というヤツを漁る連中は美意識が高かったのだろうか。たぶんそうだろう。

ワナビの諸君なら分かってくれると思うのだが、殊更小説において芸術性(純文学性とも言えるかもしれない)と売れるかどうかは反比例の関係にあると思う。特に現代においてはそうだ。誰が好き好んで村上春樹を読むのだろうか(私はかなり村上春樹を尊敬している。小説自体は嫌いだが、その創作のスタンスとして)。芸術がわからない大衆を私は軽蔑するが、何よりも私自身は芸術など嫌いだ。やはり小説などのようなつまらない媒体ではなく、アニメや漫画のように分かりやすく楽しませてくれるものが好きだ。

何が言いたいわけではない。これはただの雑記……。

・なろうへの偏見

実際サブカルに携わる雑草の一人として、多少の責任を感じずにはいられないのだ。きっとなろうのVRゲーム系の連中は皆、ソードアートオンラインを目指しているのだろうが、あんな傑作を書き出すのは不可能だ。面白すぎるだろあれ。主題はVRそのものではなく、VRと社会、あるいは与える影響とか、もしもVRが本当に登場したらこんな社会になるのではないか、的な一種の想像と妄想と予想の含まれたものであり、単なるラノベとは一線を画するのだ(こういう発言は涼宮ハルヒの憂鬱をSF系であり云々とかのたまうオタクのような感じがして非常に気持ち悪い。俺はお前らとは一味違うちゃんと理解ってるオタクですよアピール発言ほど食欲を失わせるものはない)。

話が逸れた。いや、別に話などない。これは雑記だ。話を戻すが、つまりSAOになれなかった雑草どもに何が足りなかったのかと言えばそれはきっと実力と運と時勢と読者と想像力と環境だろう(こうやってボロクソに書き下ろすのはとても楽しい。最高だ)。誰が悪いのかといえば、そんなクズ石を褒め称え、ツイッター1コマ漫画のラブコメばかりにいいねするインスタントラーメンが好きな連中だ。これはかなり譲らないのだが、TLに流れている4ページ漫画などただのインスタント食品であり、何か無味乾燥したものなのでゴミだと思う。私はそう主張したい(したいだけだ。別に主張はしない)。

特にそんなSNS上りの連中が勘違いして出版社に声をかけられて単行本化した場合など最悪だ。勘違い連中どもが漫画の本質を歪めている。なんと呼ぶのか、いわゆるサザエさん系とでも言おうか。毒にも薬にもならないラブコメ系などゴミだ。そしてそれが設定大喜利系になった場合など最悪だ。一体どれだけ隣の席の女の子といちゃついていれば気が済むのだろうか。ダンダダンぐらいのめちゃくちゃをやってほしい(ダンダダンは面白い。ついでに私はレッドフードにもとても期待している。おすすめだ)。

ツイッター漫画なのだが、あれは一種の共感を基にしていると思う。つまりコラージュだ。今までの積み重なってきたラブコメ漫画の設定を抜き出して適当にミキサーしたゴミだ。大嫌いな女の子と婚約することになった系は全部ニセコイだし(いや、実際のところはわからない。ニセコイだって何かに影響されてそういう物語になったのだろう。たぶんそうだ。あらゆる創作は決して他からの影響を受けていないことなどない。よって元祖がニセコイなどとは口が裂けても言えない)、主人公が女の子の家庭教師をやる話は全部5等分の花嫁だ。僕たちは勉強ができないなど所詮パクリのゴミだ(と思っていたが、いざ読んでみると結局最後まで読んでしまった。つまらないなこれ、と思いながら結局最後まで読んだ。面白かった)。まあそういうものだ。面白いものが流行ると後追いが来る。煙草を吸ったら息が臭くなるのと同じくらいの真理だ。

これに関しては私の勝手な要望だが、かなり的を得たわがままだと思う意見がある。これはパターン分けしよう。

パターンその1、作者に十分な実力があって、面白いものを描けるなら存分に後追いして面白い作品を作って欲しい(いや、後追いとかじゃなくても面白いものを作って欲しい。かなりマジで)。

パターンその2、作者に実力がなくて、くだらない話を作るくらいならばさっさと消えてほしい。それでいつの日か私を見返す作品を作って欲しい。きっと素知らぬ顔で読むと思う。これ全部ブーメランにならないことを祈っている。

ツイッター漫画の話に戻す。あんな下らないゴミでいいねを稼ぐくらいならその時間を使ってなんかすごい話を描いて欲しい。所詮あんなもの10秒後には忘れているのだ。ゴミだ。誰でも思いつきそうな設定の五流ラブコメなんて書いてないで、あなたにしか書けない何かを表現するべきだ。なんだったら神絵師にも同じことを言いたい。そりゃ可愛いキャラを美しい絵柄で描かれたら一瞬目は奪われるが、それだって所詮消耗品のインスタント餃子だ(なぜ餃子なのかはわからない。きっと私が食べたいからだろう)。私の個人的な要望だが、そこにストーリー性を持たせてほしい。ワクワクさせる何かを加えられないのだろうか? 美しさを追求する神絵師を尊敬しているが(かなりマジだ。私はイラスト描きを挫折した身であるが故に、そこに辿り着くまでの道のりを想像して尊敬している)、同時に見下している。人は美しさを求めているのかもしれないが、俗で下らないのでストーリーも同時に求めている(これは私がそうであるだけなのかもしれない。私はそこにストーリーがあるのなら現実でも漫画の世界でもどっちでもいい。むしろメタフィクション系のストーリーなどは非常に敬服している。にじさんじ黛灰のやってるアレだ。あれすごいよね)。

何の話か忘れたので上にスクロールして思い出した。なろうの話だ。

誰がなろうの質を低下させたのかというと、なろうに関わる全ての人間だ。私はかなり不思議に思っている部分があって、人気の作品は書籍化され、そのほとんどはざまあ、ハーレム、異世界、悪役令嬢など目を汚すには十分なものばかりだが、それらは売れているのだろうか? 本当に不思議でならない。あんなゴミが存在を許されているのは所詮Web小説だからで、無料で読めるからだ(私の頭に"タダより高いものはない"という言葉が浮かんだ。なぜだろうか)。私の考えだが、ゴミは売れない(別に私の考えでなくとも真理だと思う。当たり前だ)。金を出すに足るものではないと思う。どれだけ評価を集めようと、それが金に繋がるはずがないと思っている。そして売れ行きが悪ければゴミジャンルは衰退していくはずで、売れる作品、つまり面白い作品が残り、その後追いとしてなろうランキングには面白い作品だけが残るはずだ。

だが日刊ランキングは相変わらずゴミばかりだ。私の考えは間違ってたように思える。そして間違っていないのならより酷い。

・金

私は金を集められるエンタメを尊敬している。例えそれがどれほどゴミと呼ばれるものであってもだ(このゴミという表現にはやはり解釈の余地と、個人の感覚がある)。そしてそれが面白ければなおいい。最高だ。

読者としての私の立場だが、面白いものには金を出す。劇場化されれば見にいく。グッズだって欲しい。それは当たり前の俗な感覚で、私が見下している大衆と何ら変わるものではない(ただし、多少なりとも面白いの感覚はズレているかも知れない。ワンピースをつまらない言い張る連中の気は知れないが、ワンピースをつまらないと思って読まない連中というのは確かに実在するようだ。信じ難い)きっとどれだけ物語に触れてきたか、どのような物語に触れてきたかで面白いの基準は変わる。初めて漫画を読むのなら、ゴミ漫画でも名作に変わるだろう。少なくとも10年ほど前に私がipadに齧り付くようにして読んでいたにじファンの二次創作は今思い出すとゴミだ。だが当時の私にとってはこの上ないエンタメだった。

つまりこれは、私のようなサブカルゴミ野郎の舌が肥えているだけであり、それ以上の話は特にない……とは思うのだが、それにしたってどうして大衆というのは見る目がないのだろうか(それとも私がもっとバカになればなろうの全てを楽しめるのだろうか? たぶんそうだろう。それともこの発言は攻めすぎただろうか)。あんなランキングの中からではまともなものなど探せないではないか。私は面白い作品が読みたいのだ。睡眠も飯も忘れて読み続けられる面白い何かを常に欲している(ずっと腹が減っているし、普段よりも睡眠時間が二、三時間少なくなるにも関わらず先が読みたい! という作品にはたまに出会う。結構生活に支障が出て困るのだが、面白いから仕方がない)。

私は面白いものが正当に評価されないこのサブカルに溢れた世界を軽蔑している。

・アクタージュの話

ふと思い出した。随分前の話だ。アクタージュに関わる騒動、匿名だから好き勝手に書けることをここに書いておこう。ふとした時に口を滑らせないために。

私はそれでもアクタージュが終わってしまうことが残念でならなかった。私にとっては作者が何をしようがどうでもいい。どんなクソ野郎だろうが、作品が面白ければ全て許せる。むしろ賞賛したい。作品がその作品以外の邪魔を受けて終わるなど最悪だ。あの作品は永遠に終わらないんだぞ。宙ぶらりんのままゴミ箱行きだ。もう二度とあの続きを読むことは出来ない。その喪失感たるやどれほどのものか、きっと私だけが分かるというものではないだろう。同じことを感じた人はいたはずだ(私は他人の共感を言い訳にしている。本質的には、そんなものは言い訳にはならないはずだ)。

被害者、という単語でセンシティブになる。だが私にとっては集英社が何とかして揉み消してくれる方がよかった(本当にセンシティブが過ぎる。かなり勇気を持って書いている。本当に価値観が自由なら人を傷つけてもいい。きっと多様性とはそういうことだ)。どうせ凡人が千人集まってもアクタージュのような名作は書けないのだ。そのためなら一人ぐらい犠牲になってもいいだろう(繰り返すがかなり勇気を使って書いている。私は作品至上主義で、資本主義だ。そして私が当事者──加害者にしろ被害者にしろ──になった時でも同じことが言えるかどうかは、その時になってみないと分からない。つまり断言は出来ない)。

そろそろ怖くなってきたのでこれ以上アクタージュの話をするのはやめておこう。

・資本主義とエンタメ

そもそも矛盾している部分があるが、物語に値段など付けられるものではない。まあ勝手に付ける分には勝手にするのがいいだろうが、その本当の価値など誰がわかるものだろうか。

数百年ほど前、芸術とは上級国民の嗜みだった。経済に余裕がある人間だけが絵を描けた。農家は詩など書かないし、理解出来ない。それを抱えられるだけのキャパシティーがなかったということであり、文字通り日々の暮らしだけで手一杯だったのだろう(それはそれで少し芸術的な生き方だと思う)。だが今となってはそんなものは昔話だ。いつしか芸術とエンタメの間の境界線が曖昧になって薄れてきた。

私の考えはこうだ。この低俗さを象徴するエンターテイメントというものと、人間を表現するための究極の試みである芸術活動が混ざり合ったせいで、両方ともダメになってしまった。芸術に値段がつけられ、それにエンタメも引っ張られたような気がする(私としては歓迎だ。ごちゃごちゃしていた方が楽しそうだ)。何が言いたいわけじゃない。だが本当に価値のあるものが埋もれていく。今の日本は物語で溢れているが、私が望んでいたのはこんなゴミ捨て場のような惨状じゃない(皮肉なことに、私が創作活動を始めたのはそのゴミ捨て場で熱心にネット小説を読み漁っていて、それに影響されたからだ。本当に皮肉だ。重ねて言うが、こんな愚痴はきっと自分の作品が思うような評価を得られていないことに原因があるのではない。たぶん)。

おそらく、きっとどのような時代でもそうだったのだろうが、ネット小説というものの黎明期が終わり、やがてバブルが訪れて、やがて弾けて、そのうちに見るも無惨なゴミの山だけが残るのだろう。なろうはそのゴミの山から生まれたゴミだ。そのゴミが積み上がって、崩れて──そしてその中から、どんな新しいゴミが生まれてくるのか。私はとても楽しみだ(本心だ。皮肉ではない)。

10年後のなろうの形を想像すると、なんだかとても愉快な気持ちになる。大衆もいずれなろうに飽きる日が必ず来る。これまでがそうだったように、流行りは必ず廃れる。その後にどんなジャンルが流行るのか私には想像もつかない。未来が楽しみだ。

・決して自分が評価されていないという妬みが原因なのではない。たぶん

読者には感謝している。感想と評価、誰かが自分の作品を読んでくれているフィードバックがなければ、きっと私はとっくに筆を折っている。事実なろうに投稿していた頃はそうだった。面白いと自信を持って投稿したのに、誰も読んですらくれなかったから私はあっさりと折れた(きっと同じような人は何千人もいるだろう)。

読んでくれれば、面白いと思わせる自信はある。だが読んですらくれないというのは少々悲しいものがある。あるいはやり方が間違っているのかもしれない。私は試行錯誤している(作品そのものもそうだし、どうやってより広い人に作品を読んでもらうかにもだ。あまり成果は得られていない)。きっと原作のジャンルが悪いのかもしれないとは思ったが仕方ないだろう。だってアークナイツ好きだし。読者を稼ぐためにウマ娘でやり出したらもう手に負えない。本末転倒ではないか。みんなアークナイツしてくれ。流行れ、流行れ……。

 ヨルシカのライブが中止になって私は攻撃力が増している。この攻撃力を創作意欲にぶつけたい。

以上、お目汚しだ。

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