武術の稽古を再開 禁欲、カフェイン抜きの答え。

戻ってきた心

 しばらく地獄界にいた気分だった。ちょっと前に会社でどうしても部下を守らなければいけない状況になり、封印していたブラック珈琲をキメたのが始まりだった。私がブラック珈琲を飲むことはベルセルクの狂戦士の甲冑(分からない人ググってね)を装着することと同じだった。脅威的な集中と行動でなんとか部下を守ることができたのだが・・・・。心が飲み込まれてしまったのだ。

運命の輪舞。

 特に身体に変化がないなと思い一杯くらいならいいかと思い2日置きくらいに飲むようになった。そしてその後、すばらしい珈琲豆屋をみつけた。飲むと心から元気になるような珈琲豆をローストしてくれる店だった。それと同時に上司が使っているのがうらやましくて携帯の珈琲ミルをアマゾンでポチってしまった。これがヤバかった。

心と体が蝕まれていく。

 普通に珈琲が大丈夫な人はいい。しかし、私にとってそれはやってはいけない選択肢だった。その珈琲店の豆は飲んで元気が出る豆だった。カフェインレスの豆を挽いて飲んでも「最高にうまい」。〇〇珈琲店とかの豆をアマゾンで取り寄せて飲んだが天と地の差だった。そういうのが積み重なった結果、カフェインレスならいいだろうと調子をこいて飲んでしまった。そのうち朝ならカフェインありでもいいだろうと珈琲を飲む回数が増えた。そして数カ月の月日が流れ先月のそれ(珈琲断ち)につながる。

あれ?俺おかしいぞ?

 いつかはよく分からないが気が付くと毎日が無感動になっていた。なまじっか仏教やヨガや仙道もかじっていたので、楽しいことなどなく全ての感情を「空」と思っていた。何も悪い状態は起きていない、でも何か嫌な予感がする。散歩でもしようと思っても歩こうとすると身体がン拒否するぅ。休みの日は疲れて眠い。外にも出たくない。本も読みたくなくなった。歌も歌いたくない。古傷も痛み、背中も痛い。この状態を俺は知っている。「やべえ!!珈琲中毒だ!!」
 個人差はあると思うが私の場合の珈琲抜きは本当にキツイ。ランボー3で腹に傷を負ったランボーが火薬を傷口にかけて火を使って止血するくらいキツかった。しかも4月から無理やり昇進もさせられたので、心理的なプレッシャーも相まって本当に苦しんだ。今回は身体が元に戻るまで時間がかかった。相当酷使もしていたからだろう。だが一番戻るのに時間がかかったのは「心」だった。


人間の身体は心の許可が出ないと動かない

梵行が全てのベースとなる

 まずは梵行を行った。禁欲だ。世間でいうとエロ禁、オナ禁である。これを男が行うとどうなるかというと熱源の湯沸かしポットが核施設並みになる。何か事を起こそうとした際はこのベースとなる命の力を蓄える必要があるのだ。ちなみに仙道でいうと精力を蓄えることになる。これにより、苦しみに耐える力、状況を判断する力、痛みに耐える力、精神力等々が軒並みアップする。これをやらないでカフェイン抜きをやろうとすればさらに数倍の苦しみになり、多分たえられなかっただろう。あと精力、気力がないと気の力も使えなくなる。風邪を引いた時もそうだったが、気のコントロールができないのだ。本当に仙道勉強しといて良かった。

珈琲断ち16日目身体からありえない音が鳴る。

 珈琲を断って、16日目。膝の痛みが消えたが、背中の強張りは残っている。身体をくねくねさせて気を使い身体の強張りを取っていた時、背骨からとんでもない音が鳴った。それはもうバキィ!とかボキィ!かではなく背骨がそのまま折れたようなベバギリリィ!!!!!みたいな音だった。しかもその時会社の休み時間を抜けて密に飯屋でそば&中華丼セットを食べている時だったので「ここで救急車なんて冗談じゃないぜ(鈴木雅之)」って感じだった。今だからこんな感じで書けるが本当に冗談じゃなかった。十年前にも一度これをやっているのだ、多分まだ残っていた固着した部分が割れたのだと思う。

18日目心が戻った

珈琲を断ってから18日目。公園を歩いてみた。とても気持ちが良い。軽く走ってみた。身体が「大丈夫よ」と言っている。6尺棒を持って振ってみた。身体が「おかえりにゃん。お前またたんとうこうからやりなおせ」っていっていた。自堕落な生活のせいで大腿筋が衰えてしまっていたからだ。武術を少しながら再開できたのはうれしい。こういう時に師父の言葉はありがたい。
昔のにゃん「師父、功夫を練るにはどのような練習をすれば良いのですか」
師父達「やりたい時に、やりたいだけやればいいよー」
師父達はこのことをしっていたのかもしれませんね。

最後に

 ヨガでは身体と心の他に「真我」と呼ばれるものがいてそれが本当の自分と呼ばれています。仏教では無我と言い。身体も心も自分ではないとされています。しかし、それに気づく為にはまず身体と心が健康であること。自分をコントロールできることが前提としてあるのではないでしょうか。とすれば、身体を大切にし、心を大切にすることで本当の自分も大切にし、そこの世界を知ることができるようになるのではないでしょうか。お釈迦様も悟りを開くために苦行をやめてスジャータからもらった乳粥を食べて菩提樹の下で悟りを開かれましたし。やはり身体と心と環境は大切ということですな。今回もいい人体実験になりました。また、何か面白いことがありましたら報告いたします。

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