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長い登り坂を歩いている気分

日記

ジリジリと照りつける太陽。
蒸し暑い、気温が体力を略奪している。
長いこと坂道を登り続けてる感覚がある。
俺は人生で後何度嫌な思いをして、愛してもらって、泣いて笑って過ごすのだろうか。
そんなことを考えていた。

多分俺だけじゃないんだろうが、行動しようが反省しようが人生ってやつの99%はうまくいかない。
『何事も自分次第』という腐れ根性論が嫌いである。
その感じで行くと自己啓発本や東洋哲学の本を読み漁ってる俺はとんでもなく素晴らしい人間になるはずである。
ソースやプロセスの整合性がない理屈は苦手。
なので結局『きっかけは自分で作れるだろうが、残りは確率論の話』だと思っている。

昨日の夜中にそんなことを考えながらチャットモンチーを聴いていたら泣いてしまった。

俺がもっとしっかりしてれば今こんな地面を這いつくばったような気分にならなかっただろうし、もしも仮に恋人がいてそれが俺を肯定してくれたらもう少し安心して生きれるのかなとか。ギターが上手ければもうちょっと人間に近づけるのかとか何もかも億劫になるぐらい考え抜いた夜だった。

なんにもねーな、俺と思いながら焼酎を煽っていた。

『僕のことダメな人って叱りながら愛してくれ』

多分これされたらずっとその人のこと好きになってしまうだろうし、関係値次第でいい歳こいてパートナーに依存してしまいそうだな。とかそんなことを考えていた。焦点は上向きに。くだらん俺のことを天井の木目が俺を笑っているようにも思えた。

たとえば憧れの先輩のマネをして風貌を寄せてみたり。
たとえばその時の恋人と同じタバコの銘柄にしてみたり。
たとえば友達に感化されてよくわからないアイテムを買ったり。

独特かつオンリーワンを気取っているが俺って結局、他人よがりの中身がスッカスカな人間なんだなと自己嫌悪に陥ったりしていた。

焦るなと言われたって明日死んでるかもわからない。そりゃあ生き急ぐさ。
誰かに認められたいんだ。
誰かに愛されたいんだ。
誰かに隣を歩いて欲しいんだ。
だから俺は完璧じゃなきゃいけんよなー。
そうじゃなければきっと俺に価値はない。
たとえ死んだとてすぐに忘れられてしまうぐらい価値がない。
と自分で自分の首を絞めていてとても苦しい
焦燥という密室の中で窒息しそうな俺がいた。

健全な肉体に健全な精神が宿ると聞いた。
ジムに毎朝通い始めた。
確かに、これはいいぞ。
有酸素運動をキメると頭がスッキリする。
身体はバッキバキだが生きてるって感じがする。

精神安定剤を過剰に取り込み、トイレで戻したり、寂しさを埋めるために気持ちがない人と関係を持つようなことをしなくてもいいのかもしれない。

まあ家に帰って来りゃ孤独にやられそうにはなるのだが。

愛は条件付きである。
この理屈は俺の中で揺るがない。
もはや信念的な何か、教えに近いようなそんな感覚だ。

格好つけなきゃ、自分を磨かなきゃ、教養がなきゃ、完璧じゃなきゃ。
誰からもきっと必要としてもらえんのかもなぁと考えてハイライトを吹かす。

それが無謀で自分を追い込んでパンクしてしまうとしても。
できることコツコツやってカッコよく生き、カッコよく終わりたいのだ。

ってボーッと考えていました!!

俺は元気です!!

ばいちゃ!

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