僕らはどこに行くんだろ

こんにちは、フジミです

幸せとか満足について考えてみた。

僕等はみな、己の幸せのために、あるいは誰かを幸せにしたくて生きているんだと思う。
形は違えど共通していると思う。

しかし果たしてどこまでいったら満足するのだろうか。
恋人ができたら、あるいは結婚したら、子供が欲しい人は子供が生まれたら、あるいは育て上げたらなのか。
音楽で生活できたらなのか、CDがたくさん売れたら。でっかいステージでやれたらなのか。
お金持ちになったらなのか。美味しいものを毎日食べれたらなのか。

通過点というのだろうか。人間は目標を達成したら次は更なる目標を設定する。
そうしないとモチベーションも保てない。

しかし、そんなイタチごっこのようなことをしていていつか満足できる日がくるのかなぁ。なんてのも考えたりする。

最近の最近考えた末に、一つ結論を出した個人的に"幸せ"の定義とはなんなのかと考えた時、「今、時間が止まればいいのになぁ」と思っている時だと定義している。
たとえば好きな人の胸の中で寝ている時や好きなものを食べている時、ライブハウスに集まってみんなで喋りながらお酒を飲んで楽しーってなってる時。

そう定義しておかないと幸せとはなんぞやと見失って恐ろしくなる時があるからだ。

定義づけされていないなんだか得体の知れないものを追いかけてる時が一番怖い。

そしてその"幸せ状態"を追い求め、うまくいかずに挫折があり、僕らは飢えていく。"幸せ中毒"みたいなものだろうか。

定期的に取らなければいけない心の栄養素が幸せなのかも知れないなぁ。

夜はやっぱり寂しいし、冬なんかは特にこの世でひとりぼっちになったとすら錯覚する。
被害妄想であることはわかっている。

僕は適切な愛情を受けずに育ってきたためか、コミュニケーションに難ありというか。人の愛し方がわからない。距離の詰め方も変なのかも知れない。最近はわりかし俯瞰して考えられるが。本で読んだりして勉強はしたのがよかった。
そしてその後、やっとできた初恋の人とお付き合いしたと思ったらとんでもない裏切りに遭い。一時期は女性不信にまでなったこともあるからかやっぱり恋人にだって心を開くのは怖い。拒絶されたら多分立ち直れない。
友達にだってそうだ。
道化の仮面をかぶってふざける。もうこれが癖になってしまっている。

さて、自分語りになって申し訳ない。

こんな破綻している僕のような人間が"満足"になれるのか?
それは自分次第だろう。
そう言い聞かせているが。やっぱ未来のことを考えると怖い。

だから創作をしている。

きっとギターをやってなかったら。
アウトプットの術を知らなかったら。
あまり考えたくないものである。

ともかく、僕が満足するために何が必要か考えた時に似たような境遇のやつの代弁がしたい!
その人たちの心の中はわからないし余計なお世話かもしれないが。

弱ってる人の味方になりたいだけなんだよなぁ。

まだまだ力が足りなすぎる。

今日はそんな話でした。

またねー。

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