髪フェチの彼と、私と。 -1- (23.8.11 pixiv公開版)

お知らせ📢

※こちらの作品は23.8/11 pixivにて掲載した作品です。





「久しぶりのデートだなぁ…」
そんな感じにしか思ってなかった俺。

・・・

「今日は勝負の日」
起きた時から、ドキドキが止まらない。
最後の髪ケアをして、特別なデートの準備をする私。

今日は運命の日

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

紗織の最寄り駅の前の噴水に着いた。
いつもの待ち合わせ場所。

今日は3週間ぶりのデート。
「久しぶりにデートしたい」って彼女が無理に予定を空けたから、俺は少し楽しみにしていた。

紗織と俺は同じ大学の2年生。
俺は文系、彼女は理系学部。
同じキャンバスだからこそ付き合ったのだが、大学で紗織と会えてもすれ違いで、違う学部だから喋る時間も滅多にない。
紗織は理系ならではでとっても忙しい。
ただデートは程々にしてた。
今日は珍しく、前回からこんなに期間が空いた。

いつものように涼しい噴水の前で待つ。
長く付き合ってるからこそ、
期間が空いても安心できるし、久しぶりのデートを楽しみにしていた。

「おはよー、修也君」

スマホに目を落としてた俺の前には、
ヘアアレンジもせず、
黒髪で、
ストレートで下ろした彼女。

(は!?)
一瞬、俺は物珍しさに目を疑ってしまった。

「修也君、おまたせ。」

「えぇ、本当に紗織か?」

「うん、そうだよ。」
「どした?」

「あぁ、うん。イメチェンしたんだな。」
「可愛いよ。」

「えーなにそれー、ぎこちなさすぎ!」

「そうか?」
「だってお前、急に変わるからびっくりするだろ。」

「ふふっ。まぁ、そうだよね。ありがと。」

「いつそんな黒髪に戻したん?」

「ちょっとこないだ。」

「そっか。きれいだね。」

「うふふ、ありがとね。」

「それで今日は紗織がデートプラン決めるって言ってたけど、どこに行くん?」

「いつもの水族館、行こうよ!」

俺は彼女が黒髪に戻ってたことに驚いた。
普段の紗織は、理系らしからぬベージュヘアにくせ毛の天然パーマヘアー。
俺は髪フェチだが、彼女はそれでは選んでない。
だがすごく好みな髪型。
思わずぞっとした。
想像はしたことあったが、それ以上。

俺らはいつもの水族館に行った。
ここには何度も来ている。
紗織…っていうか、俺が初めて女の子とデートした場所。
俺らにとっては思い出の場所だ。

いつものように手を繋ぎながら水槽を眺めて、
イルカショーの前で写真撮ってもらって、
レストランでお昼を食べて、何気ない楽しい時間を過ごした。

腰に触って抱えるように歩くとき、
たまに紗織のロングヘアーが指に触れる。

今までは天然パーマで背中まで髪が伸びてることはなかった。
まっすぐストレートだからか。
俺はたまに触れる髪が水族館そっちのけで、ずっと気になってドキドキしてた。

今思えばこの時間は、紗織のロングヘアーの最後の思い出作りだったのかもしれない。
紗織もやけに髪をたくし上げて、写真を撮ったりしてた。

当時の俺はそんな事とは知らず、いつものように水族館を出た。

「久しぶりの水族館、すごく楽しかった〜!」
「修也は?」

「俺も楽しかったよ」

「そうだよね、また行きたいねー」

「そうだな」
「それで次はどこ行く?」

「えーっと……」
「公園とか、どうかな?」

「珍しいな」
「いいが、何するんだ?」

「ただのお散歩」

「ほう」

水族館から近くの遊歩道に出た。
ただの散歩だけど、久しぶりだから話のネタは尽きない。
大学の色んな話をしているうちに、いつの間にか公園に着いた。
「ちょっと座ろっか?」
ベンチに腰掛けると紗織から突然切り出された。

「ねぇ、修也君はこの髪、気にならない?」

(は、はぁ…?)

そう言って彼女は自分の髪を俺の方に差し出す。

「今日の紗織の髪は、きれいだよ。」

「ほんと…?、じゃあちゃんと触ってみない…?」

紗織は自分の横髪を持ち上げて、俺の方に差し出す。

「いや、それはさすがに…」

「なんで?私は気にしないよ。」

「……」

「ほら!早く〜」

「わ、わかったよ」

俺は少しためらいながらもその美しい髪に触れた。

(うわっ!すごいサラサラだ。。)
さっき毛先を触ってた感覚とは全然違う。
本物のバージンヘアみたい。

指の間を流れるような毛。
ふわりといい香りが鼻をくすぐる。

「どう?気に入った?」

はっきり言ってたまらない。
今日俺はずっと紗織の黒髪ストレートが気になっていた。
正直気になりすぎて仕方ない。
俺はフェチだったから。紗織にはその事は隠してある。
紗織には話した事がない。

だから今この状況はかなりやばい。
理性が崩壊しそうなのを抑えつつ答えた。

「ああ、すごくいいと思う」
「さらさらだね。こんな紗織、初めて見たよ。」

「よかった〜。実はね、私も初めてなんだ、縮毛矯正かけてみたの。」
「縮毛矯正かけたのか、だからこんなまっすぐ」
「うん、そうだよ。」

紗織は嬉しそうに言った。

「縮毛矯正って今までかけたことなかったからうまくいくかどうか不安だったの。」
「紗織、昔から猫毛だもんな。」
「結構大変なんだよ。朝起きてからやって学校行って帰ってからもまた直して……。」
「縮毛矯正したのはどれくらい前なの?」
「2週間前くらいかな。」
「そうなんだ、よく頑張ったな。」

そう言って俺は紗織をなでなでした。

「嬉しい、ありがと!」「これで安心した。」
「どうして?」
「だって、修也君に褒められたから。」
「なんか照れるな。そんなにストレートにしたかったのか?」

「うん。」
「これで思い残すことないなー。」

紗織は満足げに微笑む。

「ねぇ、修也君。今から髪切りに行かない?」

はっ、はぁ???

思わず耳を疑った。びっくりしすぎて体が動いた。
紗織は平然な顔をしてる。

「ど、どういう意味?」

「そのままの意味だよ。」

「これから美容室に行ってカットしてもらうの。」

理解が追いつかず、言葉に詰まった。
紗織は続けて、

「修也君に見てもらえて、触ってもらえて、私とっても満足。」
「2週間頑張ったけど、
 ストレートアイロン毎朝するの大変なんだ…。」
「来週から研究課程入るの。だから忙しくて切りに行けないし。」
「今日なら修也君も居るし…」

「ね、お願い、美容室デート、付き合ってよ。」

理性が崩壊する、と思った俺。
これは回避しないとと本能で思った。

だが、
紗織の顔を見たら、無理には断れない。

「あぁ………わかった。」

半端強引に押し切られた。
紗織は立って、それから一緒に歩いて地下鉄の駅へ向かった。
電車で20分。
紗織の1人暮らししてる家に近い、大きめのショッピングモール。

ずっと俺は歩いてる間、紗織の長い黒の艶々な髪にちらちら目が向いてた。
移動してるうちに『切っちゃう』って現実感が湧いたから。
とっても惜しい目で。

風になびいたり、ゆらゆらと揺れてる。
時おり、柑橘系のシャンプーのいい匂いがしてる。

「着いた〜。いつも来てるのここなの。」

ショッピングモールの店舗の中にある美容室。
真っ白くて、ガラス張りの、おしゃれで透き通った感じのお店。

美容室の前に立った瞬間、突然思った。
そうか、俺は紗織のカットを見れるのか…。

せっかくの素敵なストレートロングを切る。今までそれで頭がいっぱいだった。
だがよく考えたらそうだ。
紗織が今日ここで今髪を切るわけで、それに俺は立ち会える。
めっちゃドキドキした。
どんくらい切るんだろう、そんなことで頭がいっぱい。

「私ね、15時から予約してあるの。」
「修也君も切る?」
「いや、俺はいいよ。」
「わかった。そしたらそこのカフェで待っててくれる?」
「あ、ああ。」
「じゃあ行ってくるね!」
「うん、いってら。」

紗織は美容室の中へ入っていった。
そんな後ろ姿を見ながら、ふと我に帰ったかのように後悔した。
紗織のカットを間近で見れたかもしれない。
一緒に髪を切ってもらえば。
めっちゃ気が早ってて、冷静に考える時間余裕がなかった。

紗織に言われた通り、少し時間があったからカフェに入った。お洒落な店内にはジャズが流れていて落ち着いた雰囲気だ。
紗織の姿を見たい。
そう思った俺はコーヒーを頼んで窓際の席に座った。
向かい側の窓ガラスには、俺の顔と美容室で施術中の客と受付中の紗織の姿がよく映っている。
紗織はどんな髪型になるんだろうか? すごく楽しみだ。
でもなんかちょっと緊張するなぁ……なんて思いながら眺めていた。

しばらくすると一番手前の席に案内された紗織と鏡越しに目が合った。
紗織が気の柔らかそうな女性の美容師と話してる。
紗織はそのうち気がついたようで微笑みかけてくれた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

あぁ、見てくれてるなぁ…、、修也君。

「どうかしましたか?」
「やっぱり席変えましょうか?」

「あ、いいえ、大丈夫です。」

………

こないだ縮毛矯正で初めて行った美容室。
ショッピングモールの専門店街の通路から、ガラス張りで丸見えな明るいサロン。
私は最初からここに来るつもりで、縮毛もお願いしてた。

予約しておいた15時のちょっと前。
修也君はどこかもじもじした様子で「俺はいいよ。」と言った。
やっぱり付いてこないかぁ。
正直言うと、ちょっと寂しかったけど、仕方ないよね。

美容室の扉を開ける時、私は少しだけ緊張していた。
私は、受付で担当の女性に声をかけた。

「あの……今日は……」

「あ、はい。ご予約の方ですね。」

「そうです。」

「ではこちらへどうぞ。」

「あっ、そこじゃなくて…。こっちでもいいですか?」
「隣が居ない方がよくて。」
私が指差したのは隣の席だった。

「はい、もちろん結構ですよ。」
「では、そちらの椅子におかけください。」

「はい。」

女性に促されて椅子に腰掛ける。

「本日担当するスタイリストの山城です。宜しくお願い致します。」
「こちらこそよろしくお願いします。」
「今日はカットのご予約を頂いていましたが、どうされますか?」

「えっと、ばっさり切ってほしくて・・・!」
「わかりました。長さはどのくらいにしましょうか?」
私は肩くらいにそっと手を添えた。 

「あら、思いきったバッサリ、イメチェンですね。」
「はい……。」

(本当はもっと短くするんだけど……。)
(でもまだ我慢しなくちゃ。)

「かしこまりました。雰囲気の希望とかはありますか?」
「えっと…。短くするの初めてなので、どんな感じが似合うとかありますか?
「このくらい切るの初めてなんですね!」
「じゃあ最初はこんな感じでいかがでしょうか。」

タブレットを見せながら提案してくれたのは、私が今なりたかったイメージ通りの長さ。

髪質とか、癖の話とか、アレンジのしやすさとか、
山城さんは沢山話してくれた。

「はいっ、それでお願いします。」
「かしこまりました。それではシャンプーの準備をしてきますので少々お待ち下さい。」

私の髪質と癖をしっかり見極めてカットしてくれるみたい。
縮毛矯正もきちんとかけてくれたけど、山城さんのカットも期待できそう。

ふと外を眺めた。
あ、やっぱりいる…。ガラス張りの向こうに、こっち側の窓側に修也君を見つけた。
こっちを無我夢中で眺めてる。私に気づいて視線逸らしたけど。
やっぱりそうなんだなぁ…。
私の予感は的中した。

私は修也君に「見てるよ」と言わんばかりににこっと笑う。
修也君はどことなくバツが悪そう。
そんな私を傍目に、

「どうかしましたか?」「やっぱり席変えましょうか?」
「あ、いいえ、こっちで大丈夫です。」

山城さんは戻ってきていた。

「それでは準備が整いましたので、シャンプー台へお願いします。」

くるっと椅子を向けられる。
ちょっと高くなってる後ろのシャンプー台が並ぶ方に歩いていく。
そして仰向けに寝て顔にタオルをかけられた。
わぁ〜、なんだかドキドキしてきた。
美容室っていつも緊張してしまう。
それに今日はこの長い髪を洗ってもらう最後の日。

そんなことを考えているうちに、シャワーで流されいた。
シャンプーが頭の上を滑っていく。
泡が耳や首筋に垂れないように、丁寧に指でかき上げてくれる。
その感触が心地よい。
気持ち良くて思わず眠ってしまいそうになる。

「痒いところありませんか?」
「はい、大丈夫です。」
「軽くトリートメントもしていきますね〜。」

山城さんの柔らかい声色を聞いてるだけで癒されるような気がする。
私は目を閉じてされるがままになっていた。
それから少しして、洗い流してもらい、椅子が起き上がった。
頭にはターバンみたいにタオルが巻かれてる。

「はい、お疲れ様でした〜。先程の椅子にお戻りください。」

言われた通りに、元の席に戻る。
それから修也君の方をちらっと見ると、また目が合った。
また気まずそうにすぐに視線を逸らす。
ちょっと可笑しいし、今度は恥ずかしい。
白いタオルに、ちょっとの化粧と、白ニットのお洋服。
まるですっぴんを見てるかのよう。

真っ白な店内に、真っ白なニット。
白のターバンに、さらに白いタオルを肩に手繰り寄せられる。
手際よく私の後ろに回り込み、ケープをかけてくれた。
袖にすっと手を通す。

「短く切るので、今日はこちらもつけますね。」

初めての白いネックシャッター。
首に沿うようにぴっちり。

「苦しくないですか?」
「はい。」

私の頭に巻かれてたタオルが外される。
中に包まれていた長い髪が解放されてふわりと広がった。
山城さんの手櫛がゆっくりと通されていく。
胸や背中にまっすぐ髪が落ちる。

「それではカット始めていきますね。」
「お願いします。」

山城さんがハサミを手に取ったのがわかる。
私はそっと目を閉じた。
「失礼します。」
ジャキッ……
ジャキッ……
ジャキッ……
あぁ……。とうとう……。
切り落とされてしまった……。
なんかすごい緊張感。私の長かった髪はどんどん切られていく。
どこか遠くで床に落ちてく髪の音。
私は身動きひとつせずじっとしている。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

おいおい、夢じゃねぇか。
いつも動画で視聴する様なシーンがそこには繰り広げられてる。
紗織がシャンプーされていて、
可愛い白ニットと、揺れるベージュのグロッシースカートに包まれた洋服、それに頭にタオルを巻かれて席に歩いてきた。
真っ白なカットクロスに袖を通して、
ネックシャッターまでつけられた。
ターバン姿に、きれいなてるてる坊主の紗織の姿を生で見てる。
それから、真っ白な体にまとわりつく黒髪をそこでばっさり切られてる。

俺はその様子を鏡越しに見ながら、自分の心臓がバクバク鳴っているのを感じた。
何より自分の彼女がフェチの世界の一部始終に登場してるのである。興奮しないわけがない。

紗織は今どんな顔をしているのか?
真っ白なドレスに包まれた、紗織の顔を見たくて仕方なかった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

目を閉じてても修也君の視線を感じる。
じっと眺めてるんだろうなぁ。きっと私の顔は真っ赤に違いない。

胸をつたって、髪がするりと落ちてきた。
冷たく湿った毛が手に触れる。

私はそっと目を開けた。
私の左側の髪はもう短くなっていた。
反対側の髪にも同じように鋏が入っていく。

チョキ…チョキ…チョキ……

切られた毛はそのまま胸の上に乗っかって、
そしてそのまま胸からお腹へ、私の右手の上に舞ってきた。
冷たくなった毛を触った。
こんなにたくさん切っちゃうんだと思うと、ちょっと寂しい。

山城さんはダッカールで髪を留めながら、さらに短く、細かく、切っていく。
肩につかない長さだった髪が、ちょっとずつ短くなってく。
すっきりした首が露わになって、首筋もスッキリ見えてくる。
こんなに短くしたの実は初めて。

トップの髪もしっかり短く切られて。
顔の前から切られた毛がはらっと落ちてきて。
それが右頬にかかって、少しこそばゆい。

「お客様、前髪はどうされますか?」
鏡のなかの世界から、山城さんの声で我に帰る。

「えっと……。」
「どうしようかな……。」

私はちょっと考えたが、上手く思い浮かばない。

「お客様の雰囲気なら、厚めで眉がぎりぎり見えないくらいの長さでも可愛いですよ。」
山城さんは私の前に回って、目を見つめて微笑みかけてくれた。

「それじゃあ、それでお願いします。」

「かしこまりました。」

山城さんはもう一度私の後ろに戻り、再びハサミを手にした。

「失礼します。」
シャキ……シャキ……

前髪を少しずつ手で取りながら、切り落としていく。
「いかがですか?」

「あ、すごくいいです!」

「よかったです。」
山城さんはほっとしたように、優しく笑った。

「それではもう少しだけ、短めのスタイルでいきましょうか。」

「はい。」

「じゃあ一旦ドライヤーで乾かしてから、ちょっとすいていきますね。」

山城さんは私の髪をドライヤーの熱風にあてていった。
髪を持ち上げてはブラシでとかしていく。
気持ちいい……
ドライヤーの風が首に当たるの何年ぶりだろ……
短いからかいつもより乾くのも早かった。

「それでは、セニング入れていきますね。」

「お願いします。」
それからまた、左耳の方に向かって鋏が入ってくる。
私は昔からすっごく毛量が多い。
元々天然パーマのくせ毛だから。

シャキ……シャキ……
シャキ……シャキ……

山城さんは丁寧に、そして素早くどんどん量を減らしていく。
山城さんの手を見つめるわたし。
私の頭からはどんどん髪の毛が抜かれていく。
綺麗な指先が器用に動いて、長い鋏で切られていく髪。
山城さんの手の動きに合わせて、髪が舞う。
その度に、切ったばかりの髪がさらさらと肩に落ちていく。
だんだんと肩から腕にかけて、降り積もる。
私の周りはいつの間にか切り落とされた髪の毛だらけ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

真っ白で素敵だった紗織のケープ、ドレス姿。
純白で、スタイルよくて、華奢だった姿も、みるみる毛に埋もれていく。

あんなにきれいだった、真っ白に飾られた紗織が、今は自身の髪で真っ黒のケープ、真っ黒のドレスに変わっていってるのだ。
紗織の座っている床の周りには、きれいに黒い絨毯ができあがってる。

そんな紗織の断髪に、俺は魅了されていた。
あんなに長くて美しかった紗織の黒髪が、どんどん無くなっていく。

俺はただ見とれていた。
もうドキドキしてたまらない。
まるで自分が切られているかのような錯覚さえ覚える。

美容師が一度手を止めた。
紗織の頭をくっと手で押して、下げさせる。
(あっ、もしや…)
美容師が後ろのワゴンからトリマーのようなものを持ってきた。
うわうわ、やっば。
俺の興奮は最高潮だった。

紗織はくっと下を俯いたまま。
ボブに揃えられた髪が、ころんと下に靡いてる。

美容師が “ ちょっ、ちょっ、” っとトリマーを当ててる。

手のひらを膝に置いて、
律儀に座ってる紗織がとっても可愛い。
初めてボブがなびいてる紗織。

紗織は今どんな顔をしているのか?やっぱり恥ずかしいよなぁ・・・
紗織は目を閉じて、じっとしてるような。
遠いガラス越しにはそう見える。

(じっとしてて、可愛すぎる…………)
俺の心は完全にノックアウトされてた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

山城さんにスタイリング剤をつけてもらってる。
成人式が終わってからばっさりとイメチェンした友達もいた。
ヘアセットで、あの子達と同じような雰囲気になりつつある。
初めての、ボブの世界。

「一旦クロスお取りしますね。」
「はい。」

肩口の切りくずがはらわれて、
真っ白なケープが外されて、白ニットのわたしが鏡に映る。
(わっ、相性抜群………)
山城さんは見開きの鏡を、私の背後で開いてくれた。

「いかがですか〜?」

山城さんはちょっと楽しそうな声色。
鏡のなかの自分を見て、びっくりした!
こんなに変わるんだ……
今までとは違う新しい自分に会えた。

肩につかないのカットラインが絶妙に決まって、顔が小顔に見えた。
顔周りに髪がなくなって、首もすっきり見える。
サイドの毛もすっきり短く整えられて、大人っぽい感じにまとまってる。
紗織はにっこり笑ってた。

「はい、とってもすっきりしました。」

「バッサリ切ってみてよかったですね。」

「はい。」

「お客様はここからきっとカラーしても可愛くなりますし、もうちょっと短くしても、小顔だから似合うと思いますよ。」
「短いヘアスタイル、ぜひ楽しんでくださいね。」

「今日はちょっと時間がないですけど…、どんなカラーが似合いますか?」

「んー、お客様ならお任せしてもらえるなら、栗色系とか。具体的にはミルクティーブラウンかなぁ。」
「もしカラー初めてで慎重にならって感じだと、ブリーチせずにベージュカラーで柔らかめでもいいですね。」
「もし次ご来店されるときは是非カラーも検討してみてください。」

「はい、ありがとうございます。」

「じゃあこんな感じで大丈夫ですか?」

「はい。」

「一つお願いなんですけど、インスタに掲載したいので、顔出しせずに後ろ姿だけお撮りするのって大丈夫でしょうか…?」

「あ、はい。」

「じゃあタブレット持ってきますので、少々お待ちください。」

山城さんは後ろの方へ行った。
美容室で写真撮られるなんて初めて。ちょっと嬉しかった。
あっ、修也君にそろそろ頼まないと。
修也君にはこのショッピングモール内にあるお菓子屋さんでクッキー買ってきてってお願いした。2階上にあるから少し遠い。
修也君にLINE送信して、少し間を置いてからちらっと左をガラス越しに見た。
コーヒーカップを手にちょうど立ち上がる所。

カット中はずっと見ないようにしてたけど、
やっぱり修也君、あそこにずっと座ってて、わたしのこと見ててくれたんだ…。
って思うと、嬉しいし、少し恥ずかしい。
でもなんかすごくいい気分で、自然と笑顔になる。

「あら、いい笑顔ですね。」

戻ってきてた山城さんに意表を突かれた。

「じゃあお撮りしますね。」
山城さんはきっちり顔が映らない、後ろ姿と横の姿だけタブレットで撮ってる。

「後日ブログでご紹介しますね。はい、それではお疲れ様でした。ケープお外ししますね。」

「あっ、あの。」

「?」

修也君もいなくなったことだし…

「なんかその、初めてこんなに切ったから、切った髪ちょっと持ち帰りたいんです。長いのとか…いいですか?」

「えっ、はい、もちろん。」

「じゃあこのケープにのってる、最初に切った長い髪だけ…。」
私はその長い髪束を手に持った。

「はい、じゃあ、そちら一旦鏡台の上に置いてもいいですか?」

私は山城さんに預ける。
そのまますっとケープを抜かれた。

「じゃあこちらの髪を入れるための紙袋、お持ちしますね。」

ちょっとして山城さんは帰ってきた。
化粧品メーカーの素材のいい手さげ袋に、鏡台の髪を輪ゴムで束ねて入れる。

「はい、どうぞ。」

「ありがとうございます。」

「こちらこそありがとうございました。お足元滑りやすいのでお気をつけて。」
山城さんに手さげ袋を渡されたら、椅子をくるっと回されて、
私は立ち上がってお会計の方に向かう。

ゆらゆら揺れる、
首で揺れる、
私の髪の毛。

背中に引っかからないで、
自然とゆらゆら揺れてる、そんな感覚がすっごく変だった。
とっても頭が軽い気分。

「今日のお会計は4500円です。」
「はい。」
………
「ありがとうございました。」

山城さんは入り口まで見送ってくれた。
そして少し離れたところには修也君が立っている。

「ありがとうございました、またお越し下さい!」

その声を後ろに、私は修也君のもとへ歩いてった。

「お待たせ!」

「お、おう」

「ね、ね、どう?」
わたしはその場で軽く一回転してみる。

「あ、ああ。似合ってるな。」

「えっ、えー、なにそのリアクション〜。」

わたしは頬を膨らませる。
そりゃだって、もうちょっと喜んでくれたっていいじゃん!
照れ屋なのは分かるけどさ!
……まぁ、いっか。

「クッキーは?」

「買ってきたよ。はいこれ。」

「ありがと。じゃあ駅の方行こっか。」
「おぅ。」

(やべぇ。言葉が詰まってでねぇ。)
(俺としては紗織があんなに可愛くなっちゃうなんて……反則だよ。)
(それにさっきまでの時間がもう。)

それから私達はしばらく無言のまま、駅に向かって歩いた。
すっごく静寂だった。
お互いは、お互いの心をより、緊張の渦に巻き込んだ。

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