精神と時の部屋
金曜の社会的作業はやることが多かった。
◯作業の簡単な説明(読み飛ばしても支障ない)
フィルム用プリンタでフィルムに転写されるとこうなるという見本を作る作業。版下作業。版下データをクラウド上で渡す作業、自社での保管作業。
紙情報を実物として送る作業、保管する作業。現場とのやりとり。営業とのやりとり。
あることは12時まで、あることは15時まで。プリンタにはセット作業などあり、転送まで出来たが、レンダリングでエラーが起こるのが数回あり、データの中でいらないオブジェクトを探して削除してデータを作り直す、それをプリンタソフトに転送する…間に他の作業に戻る。見本をお客さんに届けるために、待ってる営業に渡す。
こうなってしまうと、複数の作業をしながら、「効率と正確さ」を、「行ったり来たり」しながら並行して作業することとなるので、一つ片付けたら次の一つを片付けるというシステムは採用できない。作業には0.005の誤差も認められない。
私はそこに情感のようなものをいれないと、どんなに正確に作業が進んだとしても、乗せる情感がないとこの一連のシステムの存在意義がないんじゃないかと感じてる。情感とは松村先生は濃いエーテル体と説明されている。私は見えない情報と思ってる。行間を読むというのは、行間の間にあるものを捉えるということだけど、その行間の間にあるものが「みえない情報」行間に情報を仕込んでいる。
こう考えると、こういった作業ってストレスになるし、ひどい時は精神破壊に繋がるのではないかな?と思った。そういった部分を超えたところに情感があるのかもしれないけど、なんかそこら辺難しそうだ。
とりあえず、クリーニングしながら、複数の潜在意識と作業をしている、潜在意識さん一緒にお願いしますね、というエリアにつど戻り(ホームポジション)潜在意識と意識を合わせながら作業した。
結果、12時30分には全て終わった。
(その作業の中でも、時間制限のゆるいものは後回しにしたので、正確には昼休み1時間とって14時くらいまでには終わったという感じだった。昼休みには30分労務の仕事をする必要があり、それはそれで昼はご飯は食べなかった。その後もやることがあり集中が必要だし、お腹も空いてないのでサプリとハーブとカフナの塩と消炎剤を服用した。仕事中は作業デスクでお茶は飲めるので、カフナのハーブティー(松の木のお茶)は飲んでいた。)
人は時間に縛られると思っていたけど、人を縛るのは、「適当にしよう」とか、「ここは誤魔化していいところだ」「これは後で誰かがやってくれるのでは?(でもめんどうだから頼まない)」という、『魔が刺す』精神、思考じゃないかと思った。
時間制限がある中、面倒な作業を効率考えない面倒なままの状態で進めるとか、チェックは飛ばそうとか、そう言ったことをしていると、無駄に時間がかかる。(チェック飛ばしたところに間違いがあったりして、また作業が増える。)
1秒でもいいので「面倒」とか「誤魔化そう」という意識を対象として捉え対峙する(クリーニングする)と、結果、「効率的なやり方」を考える時間に2秒くらいはかけられたりして、考えないと3分かかることが1秒で終わるということもある。
複数の自分との共同作業ということかと思う。いろんな自分とのコミュニケーション、切り替え、バトンタッチ。
シンプルな話にすると、家族で土曜日の昼ごはんどうするとなって、誰かがラーメン屋さんを提案して、今14時だけどとなる。空いているかどうか調べないで、お店に行ったら昼休みだった。ここからまた考える、どうしようか…この繰り返しで疲れて、何も食べずに帰る。それはそれで面白いんだけど。
ここで、調べるということを「面倒(脳が抵抗する)」に邪魔される事を対象化する(「面倒」をクリーニングする)と、面倒という抵抗が治る処に戻り、営業時間を調べることに繋がる。調べる自分と移動する自分。
これは潜在意識の内的なメッセージ(外的の鏡面作用)なので、こういったクリーニングするのが、プログラムを修正するということだと感じる。