ひとり流しそうめん的言葉のすくい方

昨日、noteのネタになりそうなことをメモ書きして「頭から切り離した」わけですが、ルーティンになっていた「文章を考える癖」までも切り離されてしまっていて、今PCを前にさて何書こうかな〜という状態です。バランスって難しい。

でもメモがあるじゃないかと昨日書き残したネタを使おうとした刹那、今日の朝に駅まで歩いているときに「いいフレーズが浮かんだ」ことを思い出しました。いいフレーズなんていっても私は歌も歌わないし詩を書くわけでもなく文章も最近アウトプットするようになったところなので「書き出しとしていいな」くらいの感覚です。その感覚で止まってしまったからか、iPhoneにメモしていれば良かったものを、ふわふわと頭に浮かんだままその時聴いていたPodcastにかき消されてしまったようで、もう思い出せません。

「出勤に日傘を使わなくてもよくなった頃」までは思い出せても、その後に続く言葉は何だったのかもうわかりません。夢を思い出せなくなる時に似ています。まあメモしたところで後から見るとなんだこれと思うことはよくあるのでさして気になりませんが。

マインドワンダリングという言葉がありますが、私の思考は割とその状態であることが多く、仕事中でもぽっと考えが頭に浮かぶことがあります。それを全て書き留めていても大変なので必要なことだけ選択するのですが、地味に労力がかかったりします。

今もぽっと考えが浮かんだのでこれが適切な例えではないような気もしますが、そんな私の思考は流しそうめんのような気がします。

昔ながらの、長い竹がストーンと低いところに向かって伸びるやつではなく、プラスチック製のくるくる回る、流れるプール状のやつです。そうめんをすくい忘れてもいつかまた回ってきてすくうタイミングが来たりします。数人で流しそうめんをやるためのものだと思いますが、小さいものしか見たことがないのでマイ鍋的な「ひとり流しそうめん機」という印象です。そういうことを考えたりしているとプラスチック製の容器が脳の形に見えてきて、中身が複雑に枝分かれし、迷路のような流しそうめん機ができあがりました。どこか端っこで滞留しているそうめんもありそうです。この例えだと回転寿司でもいいような気がしましたが、プライベートなものかつ形のはっきりしない流動的なイメージはやはり流しそうめんがぴったりです。枝分かれした先には竹の流しそうめんのようにバケツに落ちてしまうそうめんもあるでしょう。しかしそれはそれとして、現状頭の中にあるそうめんをすくっていければいいやと思う、週半ばで身体に疲れの残る私でした。

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