安全な場所

『HEARTSTOPPER ハートストッパー』のシーズン2を完走しました。
あらゆるシーンで胸がキュッとする良いドラマなのですが、最終話で気づきがあったので忘れないうちに書いておこうと思います。

まず、恋愛対象の可能性について考えました。話数が進むごとにあの人もこの人も性的マイノリティなのか、と若干現実離れしたように感じますが、それこそが主題というか、誰しもが誰かを愛する(もしくは愛さない)可能性が開けている世界である、と受け取りました。画一的でない、可能性に溢れた社会。その社会でもそんな可能性を嫌悪する人たちもいるけれど、必ず手を伸ばせる範囲に受け入れてくれる人たちがいるという希望を感じます。

比較対象としてどうしても頭に浮かんでしまうのが『怪物』です。ファンタジックな世界を撮るのであれば、2人だけの世界でなく社会を見渡して文字通り広い世界に希望を持てるハートストッパーの方が今観たいものだと私は思います。それは世界的な流れとしても主流になりつつあるという肌感があります。学生の恋愛や友情を描いたマンガ『スキップとローファー』や『正反対な君と僕』が「思っていたより世界は優しい」と教えてくれたことも記憶に新しいです。

多様な作品として、人の悪意やもっと小さな世界を描くことはもちろん必要なことで私もそんな映画やドラマは好きなのですが、こと性的マイノリティを題材にする場合は(是枝監督と脚本の坂元裕二は「題材」という認識ではないようですが)あまり希望の見えない物語は昨今好まれません。あくまでも私の主観や体感としての好みということで、この問題に関しては久保さんの論考を貼っておくのが良いかなと思いました。余談ですが久保さんは宝塚映画祭でちらっと出会って以来SNSを拝見していましたが、最近ご活躍のようでいろんなメディアで目にするようになりました。

さて、ハートストッパーの話に戻ります。
最終話で気づいたこと、それは「安全な場所」についてです。この先できるだけネタバレしないようにぼやかして書きますね。最終話の舞台はプロム会場ですが(ここでネタバレと思う人はもう読むのをやめておいたほうが良いかもしれません)カムアウトをする場所としてそこまで適切ではないのが現実です。全体的に優しくてファンタジックでありながら、当人の心持ちについては丁寧に描かれていると感じます。そこから仲の良い仲間で家に移動し、プロムの二次会が始まります。先にも書きましたが「自分を受け入れてくれる人」のいる場所、「嫌悪する人」がいない場所、など安全な場所があらゆるところで舞台として設定されていたことになんとなく気づきます。スマホでテキストを送り合う各々の部屋や美術室、タラとダーシーが閉じ込められる倉庫など。チャーリーの家の玄関が何度も登場しますが、そこは扉を開ければすぐ外の世界。シーズン1からシーズン2にかけて、その安全な場所を広げていっているのかもしれません。
そんなことを考えてもう一周してみたくなりました。

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