人を管理することで、生産性を上げようとすることを辞めたらどうか?

2020年に入って、「日本が衰退途上にある」ということを認めた記事が改めて増えている気がするが、そんなことは人口減があからさまになった数年前からわかりきっていたことだとは思う。

むしろ今問題なのは、どの記事を読んでも、その衰退していく状況を嘆くだけで、具体的にその状況から抜け出すためのアイディアを出しているものが、本来ならその筋のプロと思える人達からも出ていないこと。

おそらくは政治家も含めて、今の日本経済の立て直し方が本気でわからないのだろうということが、このことからもうかがえる。

多分、日本経済の衰退の一番の原因は、人口減から来る人口オーナスが多くの人達が予想していたよりもずっと厳しいものであるということだろう。この状況は個人で例えるならば、加齢による体力の衰えのようなものだ。考えてみれば、大量に溜まった赤字国債にしても、作り直しが必要な社会資本にしても、皆、メタボリックシンドローム、要するに生活習慣病に冒された身体のようなものだ。今や日本全体が生活習慣病に冒されているという状況なのだろう。

生活習慣病は、簡単には治らない。しかし放っておいては悪化する一方である。対策として考えられるのは、急に悪化しないように治療をしつつ、長い目で見て「仕事の仕方を変える」ことだ。多分それは国にとっても同じ事だろう。ではどのように仕事の仕方を変えればよいか?

結論から言ってしまえば、「人を管理することで、生産性を上げようとすることを辞める」ことだ。これは学校教育に関しても言える。もはや今の時代、人を管理しても生産性の向上には繋がらないことを意識するべきだ。以下、その理由を述べてみる。

ある打ち合わせをしていて、心に響くことがあった。それは、「技術が完全に人に依存していると、人を管理していさえすれば技術も管理していることになるが、それは本来の目的ではない」ということ。考えてみれば、日本ではマネージャーのほうが技術を持っている現場よりも給料が高いという状況が今でも続いているが、その根本的な理由は、この「技術が完全に人に依存している」時代が長らく続いたことにあるのだろう。日本のマネージャーは長らく人を介して技術を管理していたのだが、その人が備える技術が陳腐化する時代に入ると、その手法ではうまくいくはずがない。

この辺りの認識は、外資系企業と日本企業とで昨今大きく違っていることのひとつだろう。外資系の企業は、優秀な社員を中途採用で登用するだけでなく、さらにそうして採用した社員のキャリア形成への協力を厭わない。これは社員の技術の陳腐化を抑える方が、マネジメントの面からみても効率がよいからだろう。皆を無理矢理マネージャーに仕立てることで、その会社内でしか役に立たない管理スキルばかり磨かせる日本企業とは大きく違う部分だ。

この他にも、積極的に「技術が完全に人に依存している」状態を解消する方法はいくつかある。ソフトウェア産業がやっているライブラリ化というものも、本質的には同じことである。ライブラリ化は、あるソリューションの制作にあたり、それに必要な「手順や技術」と「クリエイティブ」を分割し、「手順や技術」の部分を汎用的にまとめたものである。実際のソリューション制作は、このライブラリにクリエイティブな要素を追加することでなされる。追加される「クリエイティブ」な要素は案件毎に異なるものだ。

ソリューション制作にあたってライブラリがあると大変便利なのは、この汎用性のないクリエイティブな部分と汎用性のある技術の部分を別けて考えることで、「技術」の部分を共通化し、「クリエイティブ」部分はその都度、その現場に面したエンジニアが追加することで、結果として大幅な効率化が図れるからである。

そう考えていくと、今の日本を救える人材は、このようなことを当たり前のようにやってきたエンジニアの中にしかいない。日本企業が立て直しをするのに一番必要なのは、改めてエンジニア的思考を企業活動の根本におけるかいなかにかかっている気がする。

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