懺悔

私は本当に昔から人並みのことが何もできない。

最初に他の人と肩を並べることができないと気づいたのが幼稚園生の頃で、少しおくれて年中から入園した私はみんなより幼稚園での生活の流れに乗れてないことに気づいて幼稚園が嫌いになった。唯一仲良くなったあみちゃんと教室の隅でお弁当を食べていたことと、後に同じ高校に通う女の子からなんの理由もわからないままおもちゃを投げられたことを覚えてる。
今だったらなぜそんなことになったのかわかるのかもしれないが、当時は自分が何も悪いことをしていないのに周り全員敵になってしまって困惑するばかりだった。幼稚園は行かなくなった。圧倒的に鈍臭かった。

小学校入学しても鈍臭いのは相変わらずで、他の子たちが身につけている社交性に振り回すばかりだった。初めて声かけた女の子に仲良くしようねと言ったら1番仲のいい子がもういると断られた。
唯一親が教えてくれた、というか唯一教えることができたであろうのは勉強で、人並み以上にできるのが勉強だけだった。先生が答えを聞いたら真っ先に手を上げていたし、宿題も誰よりも時間をかけたであろうものを提出し、テストも満点だけをとり続けていた。
勉強ができたからといってやはり取り落とした社交性は身に付かず、周囲と自分の乖離を幼心なりに感じ取っていた。私は勉強をすることはやめ、わかっている問題も手を挙げず、宿題をしていた時間は遊ぶことにした。
遊び相手なんて親戚くらいしかおらず、初めて誘われた遊びの集合場所に1時間待ちぼうけして誰も来ずないたら負けと下唇を噛み締めて自転車を押したこともある。ひとり遊びでも自分にコンテンツ力があれば多少構ってもらえると、一生懸命絵を描いて、1人でできるマリオとポケモンとぷよぷよと、カードゲームや将棋なんかを1人でやっていた。
勉強という唯一の取り柄を捨てたあたりでやっと空気を読むという現象を知った。みんな答えを知ってても手を上げないことだってあるんだ。

そこからは次第に今の私くらいの社交性やコミュニケーション能力を段階ごとにつけていくのだが、私のステータスは全体的に低いようで、何か一つを鍛えると他のことが何もできなくなっている。圧倒的に不器用だ。
多分これは何かしらの病気で名前がつくものだと思って調べに行ったことはあるが、そんなことはなく、私には努力が足りないんだということが明確になった。
そもそも努力するのが下手なのかもしれない。

何が言いたいのかというと、人生を通して人並みのことをするのが精一杯で、だけどこんな程度で限界なんて言えば社会は私を爪弾きにするのなんて目に見えているので余裕そうな顔だけが得意になって生きづらい。

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