バイクを売った

私は23歳、職業は自称Barber。
今流行りのFade cutをウリにし仕事をしている。

そんな私には相棒がいた。

"Kawasaki Ninja250"である。

高校生の頃、友達のNSR250の後ろに乗せてもらってバイクという乗り物の楽しさを教えてもらった。
もちろん恐怖感は終わったが、乗り終わった後何とも言えない満足感が自分を満たしていた。

それと同時に親に直談判。
"バイクの免許が欲しい!"
高2の私は懇願した。

答えは"No"
理由は危ないかららしい。
だけど何故か原付はOKになった。
その後普通二輪の免許は高校出たらOKがでた。

親父のお下がりのスクーター(台湾のsym)を大好きなモンスターエナジーのステッカーでドレスアップして何とも痛々しかった。

高校生活のうちに欲しいバイクを探していた。
そんな中で見つけたのがNinja250。
一目惚れだった。

値段は65万程だったような。
バイトもしてない高2には到底無理な話だったが、美術のデッサンの授業で、Ninja250を模写しそれを部屋の一番目につくところに飾った。

そういつかNinja250に乗るんだっていう覚悟の証(厨二臭い)
そして焼肉屋でバイトを始めた!

バイトに明け暮れた毎日

専門学校入学後、高校から続けていたバイトのシフトを増やし、友達と遊ばず、貯金額を月5〜7万ほどにし徹底的にお金を貯めた。

そのおかげでその冬にNinja250を一括で買えたのだ!!!!!!!!!!

初めての自分の愛車、憧れが現実になった瞬間だった。

だがその2ヶ月後、家の前に止めていたらトラックに踏み潰され廃車になる。走行距離は380kmだったw

保険金で同じNinjaを買うも、同じ顔なのに全く違うものに見え、全く愛着がわかなかった。
その後いろんなところにツーリングにいき、途中で事故もした。、事故をしたあたりからすごく申し訳なささとともに、愛着が湧いた。

Ninja250はいろんなところに連れて行ってくれて、いろんな人と繋げてくれた。
鈴鹿サーキットも走った。

本当に大好きなバイクだ。

そして就職

そして就職した。
一人暮らしを始めバイクも一緒にお引っ越し。
だがしかし全くバイクに乗る時間がない。

バイクはカバーをかけられたまま半年ほどほぼ乗らなかった。

そうして二年目くらいからやっと時間とお金に余裕ができ、Ninjaに乗ることがまた増えてきた。

またいろんなところに行ったりした。
だけど一つ問題が出た。

なりたい自分にこのNinjaがマッチしなくなっていた。
当時は速い、カッコいいバイクに憧れていた。
だが今は歳を重ね、渋い、レトロなファッションの一部にバイクはカテゴライズされるようになっていた。

そうしてNinjaには申し訳なささを感じ、またNinjaに乗るのが恥ずかしくなってきていた。

そしてついに私は乗り換えを決意する。

別れ

私は次のバイクを買うにあたって資金が必要だった。
ローンを組むのにも頭金があった方がいいし、できればNinjaと二代持ちしてもよかった。

だけど諸事情により1台に絞ることになり、Ninja250の売却を決めた。

買い取り一社目(バイクエー○)は、高値の30万だったが態度が気に入らず断った。

二社目のバイクランドさんの担当さんは非常に物腰柔らかくいい人だったので27.6万円で成立。売却した。

"バイク売ってくれませんか?"

"はい"
これを言うのにすごい決断がいったし、すごく辛かった。勝手に涙が滲んでいた。

"ごめんね、Ninja、ありがとう、Ninja"
たくさんの思い出が溢れて抱きしめたくなった。

担当の方はそんな私の気持ちに気づき
最後に記念撮影をしてくれた。

大好きNinja。大好きな相棒。
このコックピットからの景色は最後になる。

エンジンをかけると、いつも通りぼくを迎えいれてくれた。。。。。

バイクをトラックに乗せるとき、Ninja特有の"泣き声"が聞こえた。
それを聞いた瞬間、涙がこぼれた。

雨の中積載され、最後のお別れ。
僕はNinjaの顔を撫でて、
"今までありがとう。またどこかで会おうね。本当にありがとう、大好きだよ。"

こう声をかけトラックは去っていった。

バイクに愛情なんてと思うかもしれないが、保険金で愛着がわかなかった自分が今ではこんなに愛情に溢れているのには自分でもびっくりした。


こう声をかけトラックは去っていった。

東京の店舗に並ぶ予定だそうで、これからも走りますよとのこと。

本当にたくさんの思い出ありがとう。
これからも大好きだよ
Ninja250。