"なんとなく""当たり前に"すすめられるアジャイルについて感じること

2016年にDeveloper Relationsという帽子を被るようになってから、6年近くが経ったらしい。その前は、同じ会社内で、アジャイルコーチという名前で、アジャイルを推進することをしていた。"アジャイルコーチ"を名乗ったのは、他に周りに伝わる適切な用語がなかったから。

アジャイル開発(当時はスクラムをベースにしていた)を社内に紹介し、やってみたいというチームがいたら、そこに出向き、進め方を指南するというもの。もちろん最初はティーチングするのだが、徐々にやれるようになると、観察をメインにしたコーチングに移行していた。まずはそのチームが、アジャイル開発の価値を感じてもらうことを目標にしていた。

"アジャイルコーチ"だった頃は、アジャイルというのはやりたい人がやるものという考え方だった。まだまだ業界全体が導入期だっただけかもしれない。ここ最近は、アジャイルな環境が前提となっている感覚を感じることが多い。
それと同時に、かつてのウォーターフォールのプロジェクトマネジメントが形骸化していったのと同じように、"なんとなく""アジャイルっぽい"現場も生まれてきているのではという感覚もあったりする。

例えば、Manifesto for Software Craftsmanship にあるような事柄は、念頭に置いてないと薄まりやすい。また、実際に動くソフトウェアを見ながら、実際に動いた結果を示すデータを見ながら、試行錯誤をやってみるという文化も、どうしても薄まりやすい。
それを伝承していくこと、呼び起こすこと、そういう活動が今後は大事になるのではないかと感じたりするし、自分たちはアジャイルだと感じてる人たちに改めてアジャイルを推進していくことも必要になっていくのかもしれない。


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