活動休止を経て得たもの、これからについて
学歴の暴力を11/5に活動休止し、約2か月弱で復帰を決めた!
みんなこうなると思ってた!?振り回してごめんね、ただいまだよ~~!!!!
休止した理由は前もグダグダ書いたので割愛する。あれやこれや書いたが、複合的すぎていまだうまく伝えることができない。
ただ、結局今になって思う最大の理由は(というか結果が出たうえで考えたものなのだが)、
自分が“アイドル”にこんなに必死になって心をかき乱されるのはどうしてなのか知りたかった。
こんなに苦しみながらステージに立つ理由は何なんだろう。歌って踊ることが好きだから、夢だったから。
なんだかもう今更それだけではない気がした。
たった2か月弱だけど、学歴の暴力の活動を休んでわかったことは
「意外にもステージに立たなくても私は幸せになれる」ということ。
歌うことと踊ることは今でも大好きだけど、この2か月弱、不思議とステージに焦がれることはなかった。
あの燃えるようなアイドルへの執着はなんだったのか。ようやく向き合うときが来たと思って、この休止期間自分を見つめなおして分かったこと、
ステージが大好き、アイドルやらなきゃ生きてる意味がない!
この根底にいたのは、何十回も何百回もオーディションに応募しては落とされていた昔の私だった。
ステージに立つことをやめ、アイドルに執着する気持ちの元をたどった先では、
何をどうしてもかわいくなれない、アイドルになれないと泣いている垢ぬけない私が、この雪辱をどうにか晴らしてほしいと今の私に訴えかけ続けていた。
あんなに命を懸けて目指していたアイドルになれなかった私は不幸であるべきだと、呪いをかけていたのは結局私自身だった。
これがわかったことが活動休止の一番の意味だったと思う。
私は、アイドルにならなくてもそれなりに幸せに生きていくことができる。
私はとっくに、アイドルという呪いから解放されていたのだ。それに気づかないふりをしていただけで。
「アイドルになるためにこんなに頑張ってきたし辛い思いをしてきた」「アイドルにならなきゃいけない」「もっとたくさんの人に認められなきゃいけない」「もっとかわいくならないと」「もっと上手にならないと」「一番にならないと」「もっともっともっともっと!!!!」
呪詛みたいな気持ちの膜を一つ一つはがして残ったのは、「こんなに“アイドル劣等生”の私を好きでいてくれる人たちを少しでいいから幸せにしたい」という優等生みたいな気持ちだった。
AKBどころか、ほかの大手や中堅どころのアイドルにさえ箸にも棒にもかからなかった私は、悔しいけれど劣等生なのだ。
認めたくなかった。いや、正直まだ認めたくない。
けれど、その期待を辞めてみた先には、自分でも驚くくらい純粋な気持ちだけが残っていた。
私はまだみんなを幸せにできていない、それどころか不幸にすらさせてしまっている。
私がやり遂げていないのはもうこれだけ。そしてやり遂げなければいけないのもこれだけだ。
泣きながらブチギレながら、痛々しいくらいの承認欲求をぶつけていた私より、今の私が一番アイドルなのではなかろうか。
ステージに立つのはまだ怖い。私に魅力がないのだと認めるのもまだまだ怖すぎる。
けれど私をアイドルにしてくれる人たちがいて、私がアイドルをしたい最後の理由が見つかった。
義務でも押し付けでもないです、
どうか私に皆さんを幸せにさせていただけませんか。
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